この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年11月

わたしは 自信満々のように見えますが、人よりも出来ないことが多いです。


思考が分散するため事務仕事も苦手だし、創作意欲はあるものの家事も苦手です。


だから、誰かしらに迷惑をかけて謝っています。

与えられたことは、自分の出来る限りを尽くします。
だけど、できないこともあるのです。
だから、ここまでは出来たけど ここからは助けてください とお願いをします。
お礼も欠かさずします。
そのお礼がピッピとペッぺであることも多々あります。


わたしはそれで良いと思っています。


だけど、いつも 最善を尽くしているつもりです。

でも、たまには抜けてます。たまじゃないかもしれないです^^



何かに秀でることは誇らしいことだけど 過剰に威張ることでもないと思います。


助けてくださる人がいるから、誇れることもできてくるのだし、そのためには 人に対しての感謝と思いやりと反省が必要だと考えています。



だから、何か得意なことがなければいけないことではなくて 自分のできなさを嘆いたり悲観するのではなくて そこを認めて真摯に受け取る気持ちが大切だと思っています。


絶えず、感謝するココロモチ、謝る清さが心を強くするのではないでしょうか?



指摘されたら、自分にすぐに問い掛け反省して謝ります。


心から反省し、次に繋げます。


でも わたしが悪くないときは謝りません。
でも 責めることもしません。


ただ 思考がストップするだけです。



要は、わたしの頭はコンピューターと同じで 誤った操作をすると、止まるのです。


思考停止します^^



えらいこっちゃ

わたしは子供が居る身だからかもしれませんが、子供にはわたしの背中を見せて生きていきたいと思っています。


だから、自分を律することもするし、反省もするし、感謝を行動に表していくこともするのかもしれません。


わたしの想いを娘に繋げていきたいと思うから。


子供は親が教えていないことはできないものですし、親が示すことを覚えていくものだと思っています。



親が口だけで説教しても想いは伝わらなくて、人から何かしていただいたら、ありがとうの想いを伝えることは当然だと思うし、その伝え方も様々で、それを実践して見せることは親の役目だと思うのです。


困った時の対処法や人に対してのお願いの仕方や感謝の表し方は、ただ、口で教えても身に付かないものだから 毎日の生活の中で親が実践して見せて教えていくことなのです。


教える側の親が何をしたらよいかわからない、知らないでは、子供はわからないまま生きていくのです。


それもあり、わたしは毎日メールアドバイスをさせていただいています。

親代わりとして、です。


でも わたしもできていないこともあるし、逆に学ばされることもあります。


わたしがブレると周りがブレるから 毎日、反省して生きています。



感謝とはわきあがる想いですが、それをいかに行動に表していくかだと思います。


また 人から何かをしていただいても感謝がわきあがらない人もいます。


心が閉じているのでしょう。


感謝はしなければいけないものでなく、わきあがる想いです。


想いがわきあがらないとできないものなのです。

そんなときは、自分を卑下するのではなく、自分はまだ、感謝の気持ちがわきあがらないから相手に失礼のないようにしよう、と謙虚に受け止めることなのです。


ありがとうとしか言えなくてごめんなさいという真摯な気持ちを持つことなのです。

人の気持ちがわからないのは、人に尽くしたことがないから 人に与えたことがないから ではないでしょうか?



自分が人に対して 何かをして差し上げたり 人の尽くしたことがあるならば 想いがあるはずです。



想いが感謝というものだと思います。



ありがとうという想いがあるなら、肉体を使って伝えることができるはずです。


魂だけならまだしも、肉体があるのですから抱きしめたり駆け寄ったりキスしたり言葉を駆使したりできるはずです。



わたしたちは肉体をまとって生まれてきています。



わたしはそうするために生まれてきたと思っています。



魂のままだと、愛する人を抱きしめられないもの。


お世話になってもありがとうと言葉を発することもできない。。。


伝わらない、もどかしい。



わたしたちを守っていてくださる神様仏様は、きっとそう感じているのだろうと思います。



テレパシーだけでは片手落ちで 気づきを与えることはできるかもしれないけれど ふれ合うことはできないね。



神様仏様の気持ちを考えてみると どう生きたらよいのかわかると思います。




愛されているなら、その想いにどう報いますか?

守られているなら、その想いにどう報いますか?

わたしは 人に自慢するために、人にして差し上げたことをあれこれ書いているわけではないのです。


誰かに何かをして差し上げても そんなことは多すぎて忘れてしまっています。


だけど、あえて書いているのは お世話になった方に対してどう接しているかを ひとりひとりが振り返ってみてほしいからです。


ただありがとうの言葉だけなのか、会いに行って伝えるのか、感謝の気持ちを込めたものを渡すのか、、、、


与えたことのない人は与える側の気持ちがわからないと書きました。


それは、人に尽くしたことのない人は尽くす側の気持ちはわからないということです。


どんな想いで尽くしているのかわからないと思います。


先記事の友人に対しては元気で暮らしてほしい、ただ生きていてほしい、それしかありません。



また、お世話になった方(ご両親を含む)にどう接して行動しているかを自分の子供に見せるのです。

子供を育てるには、自分の背中を見せて育てます。


自分の行動が自分の子供を育てて、自分の想いを受け継がせていくのです。


その意味を込めて、わたしはわたしの行動を細かく書いています。



自分のできる限りを尽くす、自分の考えるできる限りを考えて行動する。

それが感謝を表すことだとわたしは思っています。


口先だけじゃないのです。



ありがたいと思うから、頭を使って 自分のできる限りを考えて行動をするのです。


わたしの行動はすべて娘は把握しています。


だから、娘も人に対しては同じように接します。


親がお世話になった方(ご両親含む)への行動を見て子供は育つものです。



わたしの行動を見て人にして差し上げるようになってほしい想いを込めて書いています。

ただ、感謝 ではないんだなあ とつくづく思います。


お世話になった方へのありがたいという気持ち、思いやりの心を持った言動が感謝の根源なのだと思います。



人はひとりでは生きてはいけなくて、この世に命を授かってからは誰かのお世話になるものです。

その人たちに支えられて守られてわたしたちは生きていけるのです。


だから、産まれた時から感謝するように導かれているのです。


愛してくれて守ってくれて支えてくれた方に感謝せずに、誰に感謝をしろと言うのでしょう。


辛いとき、泣きたいとき、苦しいときに支えてくれた人を忘れていませんか?


感謝を向ける先を間違えてはいませんか?



お世話になった方のご恩に報いるためにあなたは何をしていますか?



自分に気付きをいただけてありがたいから、次は自分も人に気付きを与えられる人になりたいと、思い上がっていないですか?


気付きを与えられたなら、その気付きを忘れずに生きることです。



ご恩に報いる、感謝の行動は、その場限りのものではなく、継続し続けるものなのです。


忘れずにいることです。





以前、わたしの友人で余命宣告をされた方がいらしたので、わたしはありとあらゆる手段、薬もお渡ししました。


その後、お礼はあったもののなしのつぶてでしたが ある日突然、完治しましたと報告のブログ記事を出されて、完治したその感謝の気持ちを込めて世の中の人のために働きますとヒーラー宣言をされました。


わたしは、ただ 長生きしてほしいという想いで薬やありとあらゆる手段を使っただけなんです。


病み上がりの身体で誰かに奉仕するためにしたわけではないのです。


その後、友人は入退院を繰り返しています。



人の恩に報いるって大切です。


人に与えたことのない人は、与える側の気持ちがわからないのです。


どんな気持ちで与えているかがわからないのです。


だから、繰り返す。


感謝のない人は繰り返すのです。



一方で、人からのご恩を忘れずに生きている人は、健康で心が清らかで誠実です。



今まで、わたしはスピリチュアルな世界に導かれて覚醒を経てきましたが 人にとっての大切なことはこれだと思うのです。

不特定多数に感謝、感謝と言っているよりも
自分を支えてくれている人やお世話になった人に対しての感謝の気持ちさえあれば、人生はうまく生きられるのだと思います。



あなたは誰に支えられて生きていますか?


支えてくれている人の感謝を忘れてはいないですか?


何か失敗して落ち込んでいるのに追い打ちをかけるように厳しい言葉を投げ掛けられた経験はないですか? 



本当に反省していたら、厳しい言葉は投げ掛けられないはずなんですよね〜 

落ち込むことは反省とは言わないのです。


反省とは我が身を省みて前を向くことなのです。 

下を見ていませんか? 


前を向いてください。 




前を向いていたなら、厳しい言葉は投げ掛けられないはずなのです。 



それでも もし、投げ掛けられたなら、そんな輩はほっといたらよろし。 


そ〜いう人はどこかのドブにハマりますから^^


気にしないことです。 






>わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





変える気ないこと、誰にでもあるように思う。 



それこそが自分の個性? 



たぶん 昨日のブログは、自分の意志の確認のために書いていたのかなあと感じました。 



一方、今朝、こんなメッセージが降りてきました。



『今までは誰もが前世のカルマ外しのために生きていたけれど それとはまったく違う本当の自分を生きるようシフトチェンジしている。 


世の中がそう変わっている。 


シフトチェンジしていると言ったところで 乗り越えるべきことをしてこなかった人はシフトチェンジした人生でそれを経験することになるのです。 



やっと晴れ晴れした気持ちで再スタートを切る人たちが多いです。 



しかし 昨日も書いたのだが、自分を大切にしてこなかった人たちは シフトチェンジした人間関係の中で改めてそれを学ぶのです。 



シフトチェンジして浮き足立っていますが、現実を見渡すと、そんなことも言っていられない情況に気づかされるでしょう。 



人によっては 今までの行いが実を結ぶ人もいれば世界が違うだけで今まで同様の苦しみに教われるか明暗が分かれるでしょう。』 




新しい自分が現れてるけれど、変える気ない部分もある。 



変える気ない部分がより強固になったのかもしれないとも言える。 




昨夜は、久しぶり〜の人とメールのやり取りしていました。 



誰もがシフトチェンジしてるなあ〜 


強制終了とも言える。 





この時期、自分の殻が外れてどこが着地地点かもわからない感覚があったけれど そろそろ落ち着いてきて 再スタートを切る方も多いでしょうね。 




誰もが本当の自分でしか生きられない。 



それって宿命なんだろなあと感じる。 



わたしたちは宿命を生きるのです。 



そして 地球は地球で宿命という名の次元上昇をしていくのです。



謙虚さを失わなかったら 必ず、うまくいく。 




「自分の価値」の話しの方ですが、お喋り出来ても会話が出来ないタイプの人なのかなと感じます。 



自分より年下の人やザックバランとした話しは出来るけれどもビジネスライクな会話は苦手なのかもしれません。 


しかし 50にも手が届くような人がため口だったり軽々しくお願い事をされるのはいかがなものかとは思います。 



しかし、わたしからすると、軽々しく〜と感じることが相手からしたら普通のことで気難しい人と捉えられてるかもしれません。 


そして こんなわたしの主張が理解出来ないかもしれません。 




どちらが良い悪いではなくて ただ、合わないというだけかもしれません。 





わたしからしたら、いい大人が。。。と思ってしまいますが、その方は何とも思っていないのかも知れない。 




そんな気がします。 



そして そんな人が多いように感じるし そんな人が世の中を変えていきたいと真剣に考えてる。 




わたしからしたら、自分を価値ある存在だと感じているから、そうでない相手から真っ先に自分を守ろうとするのですが、そのような人たちは「価値」というものがわからないのに人の価値を見出だそうとしてる。。。 




人の価値を見出だすには、とにかく、大切に大切に扱うこと。 

真綿にくるむように大切に大切に扱うこと。 





大切に扱うには、人から大切に扱われたことがなかったら出来ないことなのです。 





人から大切に扱われたことのない人に対してあれこれ言う前に、わたしから手を差し伸べなさいと言われているのかもしれません。。。 




大反省ですが、実際は関わりたくないです。。。 






それは、相手の価値がわかっているからだと思う。 


相手の価値がわかっているから 生返事しないし一回請け負ったら最後まで気を緩めたりしない。 



フルネーム鑑定では、ままさんの話が済むまでやる。 

1時間2時間はザラで長い時は二日三日に分けるときも。 




目の前のことに諦めない、集中するという性質のためかもしれない。 




一度関わったら大切にする。 



優しくないかもしれないけれど大切にする。 





相手の価値がわかるから自分を低く見積もってるような人は気になってしまう。。。 



誰もが自分の価値を感じて生きてほしいなあ。 




メールひとつ、電話一本でお願いすれば受けてもらえると思うのかな?


大きなことでも小さなことでも係わらず、軽〜くお願いしてくる人っていますね? 





わたしは軽々しく頼まれ事されても頭を縦に振りません。 


それは自分の価値を知っているから。 


お金を払ってもらえば良いかと言ったらそうでもなくて、わたしの価値をわかってくれてる人の頼みしか聞かない。 



神様の遣いをしてると、真に神様はわたしを丁重に扱ってくださり頭が下がります。 
だから すぐに動かねば、とも思うのですが。 




言い方ひとつ頼み方ひとつだと思いますが、がっかりさせる人っているものです。 




人をまとめるような仕事をされてる人がそうなので開いた口が塞がらない。 



わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





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