この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年11月


親なら子供を賢い子供に育てたいと思うかもしれない。 



賢い子供に育てたいならば まずは親がブレない自分であることで、余裕を持って子供の疑問に答えられる環境を持続できるよう努力することである。 


どんな幼稚園、小学校にいれることを考える前にです。



また、将来、何にさせたいかが決まっているなら、そうなるべく計画するのは必須かと。 



何にさせたいという目的と今の現状が結び付くような道筋をつくることも必要かと。 




道筋をつくる、計画することは、大切に思います。 



わたしに何かを相談される場合、スピリチュアル的に観てほしいと思われるかもしれないが わたしは元々が現実主義なので 計画性を持つことを主に話しさせていただきます。 


誰から学ぶ、ことは重要です。 


理想ばかり語っていても実績が伴わない人に大切な子供は託せない。 


この人なら、と思える人を選ぶことは重要です。 


賭けをするようには子供は託せないと思うのです。 


わたしは娘の子育てや指導方法など悩んできました。 


その度に、立ち止まり、辺りを見渡し、信頼できる人を見つけ、人間関係を築き託してきました。 




今と昔は違うと言われても、真摯に人に向き合えば、必ず現れるものです。 

出来ないと思われれば出来ないし出来ると思えば出来るものです。 



この人!と決めたなら迷わないことですね。


決めないと信頼もされないですから。 



自分(親)の心次第です。 


それが親としての決断ではないでしょうか? 




子供の自由意思を尊重するのも親の決断ですし子供の未来を導くのも親の決断次第です。 




最近、迷惑かけられることが続いています。 


わたしは許すので、結果 迷惑には感じてはいないのですが、相手側の自己管理がなっていないことが原因に思います。 


自己責任というのかな? 

自己管理が甘いのでしょう。 


何故、自己管理が甘いかというと、感謝がないから。 


人に対する敬いの心も感謝の心もないから。 



そのような方は一度や二度じゃなく繰り返しているはずです。 


許されることを当たり前にして許されることに感謝がないから繰り返すのです。 


人に指摘されるなら良いと思いますが指摘されずに離れてかれるとようやく気づくでしょう。 



そうやって、感謝を学ぶのです。 




比較的、感謝ある人は何物事も丁寧にこなし確認を怠らないものです。 

そして 自分の非を感じたらすぐさま謝罪の意思を示すものです。


人となりは謝り方に表れるものですね。 





********************** 


これを逆の立場から考えてみます。 


つまり 相手側から。 


悪気があってしたわけでない、つい うっかりと。 


これは、それをするのは、違うよ〜 離れなさ〜い とのサインであることも。 


何かにしがみついていると 結果、うまくいかないことや人に迷惑かけることが続く とも言えます。 


スピリチュアルな人というのは、このように考えがちですが、それにしても 人となりは謝罪で表れます。 


感謝のない人は何かを切り捨てないと次に行けないものですね。 


学びを深めていける人は器が広いので、何かを手離さなくても同時進行できるものです。 


自分のお望みのままに。 




そうやって内側の神様との関係を築いてきたわけですが、その内側の神様とわたしがくっつくと またまた、その奥から神様が現れてきました。 



先に書いた内側の神様をままのままさんと呼んで後から現れた神様をアルさんと呼んでます。 



このままのままさんとアルさんは上下関係が在りアルさんの方が上です。 

しかし ままのままさんの方が強いです。 
物事を動かす力が強いです。 



わたしという体はアルさんとままのままさんで共有していて いわば取り合いしています。 



大概、わたしとままのままさんはくっついていますがたまにわたしの体をアルさんが乗っ取り走り出します。 


その時、ままのままさんは吸収されてるようです。 


また 今年の夏、神様の遣いのお役を少しお休みしていましたが その間は、わたしとアルさんがくっついていたように感じます。 


しかし、ある日突然、ままのままさんが目覚めた感じがしたので休みが解けたのでしょう。 



自分の内側の神様に繋がるというのは、一回繋がったらそのまた奥、そのまた奥と深く深く繋がるものです。 




これは、日月神事に書かれています。 


自分に起きてることがわからなかった時に偶然、図書館である本を手に取ったら、自分に起きてることが書かれていました。




こうやって わたしたちは進化をとげていく存在なのです。



暑苦しいくらい愛されているので、毎日が忙しく過ぎていきます。 


そんなだから わたしは神社でのお詣りは控えています。 
自分に手を合わせるのはおかしいでしょ。 
だけど 遣いとしてご奉仕はさせていただいております。


自分自身に繋がるということは自分の内側に居る神と繋がるということです。 



わたしがお教えしている呼吸法&グラウディングをしていくと繋がるようになります。 


自分自身に繋がるということは 内側の神視点を持つことになります。


それまでは徐々に自分視点が広がっていくことを体験しますがある日を境に神視点を経験します。 


でも それが長く続くのではなくて、神視点と自分視点とが交互に入れ替わる感じです。 


神視点になっている時はとにかく自分への愛が止まらなくなる感じです。 

自分のことが好きで好きでたまらなくてかわいくてかわいくてたまらなくてデレデレになります。 

それが第一段階のようです。 


それが自分の内側に居る神様の姿です。 


だから、自分を大好きでいてくれるから自分も内神様のことが大好きになる。。。 


ひとりでそんなことを繰り返しながら内神様と信頼を築いていきます。 


そうなると自分との約束がきっちり守れるようになるので、目の前に居る相手との約束も自ずと守れるようになります。 



まずは自分。 

自分を満たしてからというのはこういう理由から。 




神視点というのはハイヤーセルフマインドと言うのかもしれません。 




そんな自分大好き視点を経て、様々なものが見渡せるようになり進化をしていくのです。 




自分自身に繋がると、まずは自分愛が止まらなくなるからやがて、目の前の人にたいしても許せるようになっていく。。。。。 




人を許せなかったり裁く心のある方は、まずは自分を満たして、自分愛を高めていくと良いですよ☆




先日 お会いしたその道の方の言葉でもうひとつ感銘を受けたのが 

「この道を学んで、人生に生かすことをしてもらいたい」 

でした。 



そうです、人はある知識を得たとしても、それを自慢したり自己主張の道具にしたがるもので 自分の生活に役立てようとか生かそうと思われる方は少ないように感じます。 




実生活に役立てることはとても大切に感じます。 


わたしたちが義務教育で習ってきた勉強も同じで算数、数学自体も実生活に生かせるものですし 理科や社会も。。。 


話しは逸れてしまいましたが、


学んだことを実生活に生かすことが出来ないのは、実生活に生かそうとする工夫する頭がないことよりも 競争心の方が勝るからだと思います。 



自分の生活を豊かにすることよりも人に勝つことの方を大切に感じている人が少なくないからだと思います。 



勝ち負けにこだわるということですね。 



資本主義というのは人を競わせて勝った人が経済的に優位になるためにつくられたシステムですがそれはもう崩壊してきてるのです。 


なぜなら 負け組と言われる人が増えてその人たちがまとまりコミニュティーを作りはじめているからです。 


勝ち負けにこだわるって古くて、時代は変わってきています。 




未だに勝ち負けにこだわり学んだことを自己満足のために利用したり自慢の道具にするのは止めて実生活に生かすことを考えてみませんか?  




勝ち負けでなく自己成長のために、実生活に生かしましょう。 



今まで学んだ知識を本当に自分のために使うのです。 


人にシェアすることはもちろんですが、知識を知識だけでなく、身につけていきましょう。 






わたしがさせていただいているのは、わたしの知識を誰もが身につけていけるようにすることです。 

わたしは、自分が持っているものすべてを生かして生きています。 



だから わたしはお喋りなのです^^


極めることが好きなわたしは、ある道を極めている方とお話しさせていただく機会がありました。 


わたしから連絡を取り、会わせていただいたのですが、挨拶もソコソコに、自分の元には技を盗みに来る人もいるので間口を広げていないからあなた(私)はとても運が良いですよ、と言われました。 


そして、あるキーワードで検索するとその方が極められているものを盗んだ方々のHPに誘導されるともいわれました。 


しかし、わたしはまさに、そのキーワードでその方にすぐ辿り着いたので 他の、とか偽物とか言われてもまったくピンとこないまま、その偽物さん達にたいしての想いをひとしきり語られてからの本題に入りました。 



本物と偽物。


道を極められている方なら偽物が出たとしても動じることはないと思うのですが 実際の所、その偽物に引き寄せられてしまう方々が多数間違って世に出てしまうことを嘆いておられました。 


その偽物に引き寄せられてしまうのは、偽物に引き寄せられてしまう因を持っているからで それは自ずの鍛練でしかないもので他人が嘆いても仕方ないようにわたしは思います。 


それよりも 自分の道をより極めていくことが世のため人のためになることだと思います。 


その道を極めている方に申し上げるのは畏れ多いことでしたがわたしの考えをお伝えさせていただきました。 


その後 わたしのことを訊ねられたので、細々ですがと前置きしてお話しさせていただきました。 


そうしたら 少し安堵されたようでした。 



想いはひとつなのだと感じました。 




目に見えて良くないと思われるような事が起きていても 思い煩うことなく自分の道を進むだけなのだと思います。 




これからは、その方にその道を教えていただけることになりました。 



自分のまま、ありのままのわたしの姿を素直に出すわたしにその方は驚いてみえましたが、どんな時も高らかに思い煩うことなく歩んでいこうと思っています。 




とても、有り難い有り難い出会いでした。 





《狭き門》

狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。

そして、そこから、入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

にせ預言者たちに、気をつけなさい。

彼らは、羊のなりをして、やって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができます。

ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから、取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木は、みな良い実を結ぶが、悪い木は、悪い実を結びます。・・・

こういうわけで、あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができるのです。




イエス・キリストは、

「まことの救いは、人目につかなく、地味で目立たないところに、入り口がある」

と言った。 





間口を拡げることなかれ。 




神は鼻から命を授けてくださった。 



口から吐く行為は、神の愛を発揮することで、それが感謝だ。 



吐いたら、自ずと入ってくる。 



神の愛を発揮したら神から命を授けられる。 



それが呼吸というものです。 


故に、
出したら、必ず 入ってくる。 



自ら与えたら、巡って入ってくる。 



これは、紛れもない事実なのです。 



だから、与えても巡って入ってくる。 

決して、なくならない。 


この世の金銀財宝、豊かさも与えたら、巡って入ってくるものです。 





何か変わったことがあると すぐにいっぱいいっぱいになり、自分を責めてしまいがちになる方がいらっしゃいます。 


「自分はダメな人間なんだ〜」と。 


何故、そこで出来ないと諦めてしまうのでしょう?


諦めぐせがついているのではないですか? 



わたしは、逆に意欲的になる方だから、そうなってしまうことがわからないため共感は出来ません。 



たくさんあった方が楽しい♪ 
同時進行できるし♪ 



わたしたちは多次元に生きてる存在なので、本来なら得意なはずです。 



出来ない!ことがわからない〜 


分刻みで動くの好き〜♪ 



結局はON、OFFが出来ていないのです。 

ほら見てくださいな♪


「止」→「伸」→「止」→「縮」の動きこそが、呼吸の動きの元となるでしょ。 


呼吸をしっかりすること、ONOFFをしっかりすることが基本です。

諦めたら呼吸が止まるじゃないか!IMG_4421




《神の活動》


「空」という存在があった。 「空」という存在は、生命の中心の流れを示す。 
純粋なエネルギーであり、「止」とも表現される。 
また 物事すべてを統制する力も持つ。 
その「空」が進化したい!と発動した。 
そのため、「止」→「伸」→「止」→「縮」という動きが生まれた。 
これが「呼吸」の元始エネルギーとなる。 




 






呼吸は御神事
生きて呼吸してるだけで社会貢献してるって知らない人が多いね。 



人間は細胞分裂を繰り返して生き続けるために呼吸してるのだけど、呼吸するということをバカにしてる人が多いよ。 


息を吐く行為は、神様に繋がってるから出来るの。 


呼吸自体が神様のお仕事。 


御神事なんだよ♪ 


吐いたら自ずと入ってくる。 



御神事させていただけるから、吸わせていただくことができるのです。 



ありがたいね。 


どれだけ吸ってもお金はかからないし、誰にでも平等に空気は存在してる。 



愛に溢れてる♪ 




この世界は愛に溢れてる♪ 



息を吐ける身体があることに感謝。 



息を吐くだけで神様を愛を感じることができる身体に感謝。 



感謝しかないなあ、と思うわけです♪ 



生き続ける、呼吸し続けることは、御神事なのだと胸をはって生きることで、より深く受け取ることができるのです。 



生かされてありがとうございます。 



呼吸を疎かにしたらあかん^^ 




これからは、生き方そのものが仕事になる と誰かが書いていたけれど、それを言うなら

これからは、生き方そのものがご神事になる

のが正しいのではないでしょうか?



どんな仕事をするのか、というよりもどんなスタイルで生きていくのか なのだと思います。


その中で 自分の「大切」を組み込んで生きていくのだと思うのです。


だから、「大切」って たったひとつじゃないと思うのです。


どれも譲れないから、どれも大切だから、という理由で 先記事に書いたわたしのスケジュール(スタイル)になるのです。


わたしにとって お掃除もお料理もお詣りも子育ても主人との語らいも空ちゃんとの時間も大切なご神事です。


他者との語らいも仕事も事務仕事も営業もメールアドバイスもブログを読むことも記事を投稿することも地域創成に携わることも、すべてすべて ご神事です。




わたしの生き方そのものがご神事です。



だから、この日常生活の中で、自分を律して、自分に決めたことは守って過ごしているだけです。


わたしのやってることを真似したいと思う人がいればそれはそれで良いし、出来ないわと思われればそれだけのことです。


強制はしないけれど、わたしのエネルギーは強制力があります。


強制力があるということは、わたしに整列させる力があるということです。


〜しなければいけないとは、言ってはいませんし そうは思ってはいませんが 結果、わたしのエネルギーに触れると そのように導かれるようです。


自分を律するための剣は、自分の心を切るための剣です。

他者の心は切らないのです。


しかし、それが言葉に出てしまうこともあります。

それは否めません。



このように わたしは、まだまだ です。


だけど わたしは、こんな自分が大好きです。

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