先の記事で、
“わたしは人に対してわき上がる想いが出ない場合 は想いが高まるまで待ちます。”
と書きましたが、
待っていていただく間には、
わき上がる想いがないことを詫びます。
「感謝感じることが出来なくてごめんなさい」
という想いがわき上がるからです。
自分の感情と向き合い続けると、感情の動きに敏感になります。
敏感になるから、それを言葉にして伝えることが出来るのです。
たまに言葉に出来ない想いが湧いてくる時もありますが、言葉にして伝えることを務めてきました。
内観を繰り返すと、自分の心の動きに敏感になり それを伝えたり行動に表すことが出来るようになります。
継続するから出来るようになるのです。
日常的に生活の中で身に付けていくのです。
礼儀や感謝を表すことは身に付いてこそ、だとわたしは考えています。
伝統の記事で繋げていくと書きましたが、この想いこそが国常立宮豊雲野宮以前の伝統です。
イザナギとイザナミの話しでイザナギがイザナミにたいしてそのような想いがあったなら、お姿を観てしまうことはなかったはずです。
黄泉の国に踏み入れてしまったから、イザナギ以下は祓わねばならなくなったのです。
祓いは無礼をお許しくださいという意味なのですから。
美しいイザナミが愛する方に醜い姿など見せたくはない。
そこで イザナギが驚いて逃げるだなんて、無礼以外何物もない。
だから わたしはイザナギとは話しはしないんだ。
イザナミさんとはよくお喋りするけど。