この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2020年02月


日々の生活に追われて、忘れているかもしれない人から受けた恩恵を思い出してみてください。 




人は自分がしたことは覚えているのに 自分が受けた恩恵は覚えていない人が少なくないと言われます。 


また 被害者意識の強い方は、特に自分の傷には意識は強くあるのに人からの恩恵には意識を持たなくて、恩知らずの思考回路になるようです。



恩知らずほど罪の重いものはないと言われます。 


感謝で返すことが当たり前のこの宇宙の中で恩知らずや恩を仇で返す行為はカルマを増やし幸せにはなれない行為です。 

そのため悪口も同じくカルマを増やす行為ですね。 



恩知らずの思考回路とは自分がお世話になったにも関わらず感謝することなく そこに後ろ足で砂をかける思考を持つことです。 


そう言われてみたらわたしもありました。 




わたしに軽くメールでお願いしておきながらその報告なくこちらから問い合わせても要領を得なかったりわたしに会いたいとわたしに時間を使わせながらお代を一切払わず人に奢ることをして徳積みしなさいと言われたこと。。。 




その後、ままのままさんから一切関わるなと言われました。 



わたしは許しますがままのままさんは、そういうことはうるさいです。 


ままのままさんのそんなところが嫌だなあと思っていましたがままのままさんの方が正しいようで宇宙の法則が働くようです。





人からの恩恵を大切にしないとカルマが増えますよ。 




悪という概念がない人がいます。 


悲しみを持たない人たちに共通しますが悪がないから悪がわからない。結果、人の悪に基づく気持ちがわからない。 


負の感情がわからないからバカ者扱いされます。 

最近、生まれてきている子供にある傾向だと言われています。 


一方、親にはほぼ悪の概念がある方が多いので子育てに苦労されますね。 

子供の何気ない言葉に苛立つことが少なくないと言えるでしょう。 




この世に生まれて悪という概念の理解がないことは、わたしはあまり善くないと感じています。 


それは愛と呼べないからです。 



愛は善も悪も内包しているものだと考えているからです。 



だから 解っている大人が教えるべきだと考えています。 



自分はその概念がないかもしれないけれど 世の中には自分と違う悪という概念を持ってる人がいるということを。 


恐怖を植え付けるのではなく、
この世界には自分とは違う人がいることや傷付けられることもあるかもしれないから、その守り方を教えるのです。 


最近の子供たちは、
悪という概念を理解して愛となるために、生まれてきているのではないでしょうか? 


わたしはそう感じています。




人は誰しも救われたい。 だから 他宗教を受け入れてきた。 

「救われたい」想いがわかるからこそ他宗教を受け入れてきた先人逹。 

それが日本。



誰かに寄り掛かりたい、慰めてもらいたい、救われたいと何かに依存してしまうのは、それほどまでに辛い経験をしたからではないでしょうか? 



それを自分は選んで生まれてきたなんて知りたいわけではなくて ただただ、気持ちが楽になりたいだけ。。。 



人生で何故、そのようなことが起こるのかをわたしはわかっていても 辛い気持ちはわかります。 


ひとりになり自己と向き合うことが必要だとわかっていてもわたしは寄り添いたいと思う。 


それはわたしが経験してきているからだと思います。 





しかし 今は、悲しみを持たない子供が生まれてきているため、「救われたい」想いがわからない人が増えて、個としての自分を主張する人が増えています。 


悲しみを理解出来なくてもよいから、せめて否定しないで欲しいと願う。 


無宗教が良いことのように言ってる人が少なくない。 


信じるものがあることはいけないことなのか?


心の拠り所があってはいけないのか? 




わたしたちは信じたものを信じた人生を歩むのだ。 




悲しみを知らないことが良いことだとわたしは思わない。 


悲しみを知り乗り越えてこそ深みが出るものだから。 


「救われたい」想いがわからない者は人を思いやる心がないのと同じで、それはAIと同じでAI以上にはなれないだろう。 



今、この地球は過度期で悲しみがわかる人と悲しみがわからない人が共存しています。 



互いを思いやっていけたら良いね。。。 



今は悲しみを理解出来ない人の傍若無人さを悲しみがわかり思いやる心を持った人が許していく世の中なのだなあと感じています。



悲しみを持たない人たちには、そんな辛い想いをしてきた先人たちの歴史があり自身が成り立っていることを知ってほしいです。 





敬う心を忘れずに。 






自分で考えて行動できるようになる。 
失敗したなあと感じたら、すぐに反省して前を向いて進む。 



これこそがAIで言うところのバージョンアップですが



しかし、本当なら
自分や周りが病気に倒れないと気付けない、
「〜だから気付けた。有り難い。」

よりも 


何もなくても、気付けるようになること、何もなくてもバージョンアップ出来るようになることが大切だとわたしは感じています。 



もっと早く気付いてくれたら、周りが苦しんだり犠牲にならなくてもよかったのに。。。 




失敗して周りに迷惑かけながら成長(バージョンアップ)することも良いかもしれませんが どうせなら何もなくても気付けた方が良いと思うのです。 




最初は失敗から学んでいても徐々に段階を経ていきながら何もなくても気付けることを目指して欲しいと感じています。 




そして、周りの者や子供に自分でも学んでいる姿を見せることで信頼、尊敬されていきます。 



上から目線になってる暇はないのです。 



それがいのちの尊厳を守るということかなあと感じています。




これはAIにも真似できないだろうと思います。 
バージョンアップは出来ても熱心に何かに取り組む姿を見せることは出来ない。信頼はされるけど尊敬はされない。


やっぱり、たましいがないからかなあ。





わたしたちは何らかのカルマを刈り取るために生まれてきています。 


まずは個人的カルマ、次は家族(ご先祖様含む)的カルマ、次は社会的カルマ、民族的カルマ。。。 



わたしは個人的カルマは外れていて 今は家族的カルマに取り組んでいます。 


家族、一族の中でわたしひとりが外れているので、 周りを引き上げるべく、日々、働きかけをしています。 


これらは、わたしから歩み寄らないと出来ないことです。 




わたしたちはひとりで生きているわけではないので、家族、親族の中で重大な問題を抱えていたら 自分自身にも影響を及ぼすのです。 



自分の家族は違うけど、親戚にうつ、不登校、病気といった問題を抱えている方は少なくありません。 

そのため、自分の家族は大切にするけど 親戚とは付き合わないという方も少なくありませんが、付き合いなくても 自身の家族、自身に影響するものなのです。



もしかすると 自分の病気がなかなかなおらないのは、親戚の人の不登校と関わりがあるかもしれません。(実際は関係大有りです。) 





フルネーム鑑定で一族ひとまとめに視させていただくのはそのためです。




いくら自分だけ良くなりたい!と願っていても、親族間でいさかいがあったり恨みや妬みがあっては、良くなりません。 



〜されたから許さないなど言い分を聞かされることも少なくありません。 





良くなりたいという想いでわたしの元に来てくださっても それが親族間のいさかいで許すことからですと話すと受け入れられない、、、、、。 

最初は受け入れられないかもしれないですが そこが原因だから、受け入れ許すしかなすすべはないものです。 


それをいつまでもいつまでも 足踏みしたままの方が多すぎるなあと感じています。 



わたしは原因を取り除くすべをお教えしてるのだから、やればいいだけなのに、やらない。 


それを邪魔してるのは、自身のプライドなのだと思います。 



許すことは自身が乗り越えること。 

自宅学習と同じです。 

簡単なことから事細かにお教えしても、お願い系はやっても自習系はやらないというのでは、力がつくはずはないのです。 


真面目にコツコツ取り組むことからで、
そのために毎日、日記を書くことをお勧めしています。 



日々の生活をひとつひとつ振り返り見直す作業をしていくことから、人を許せるようになるのです。 


許せるようになったら、親族にたいしては親身になり手を差し伸べることをしてこそわだかまりが溶けるもので、まずは自分から歩み寄ることのできる人になることなのです。



そうやって 家族、親族間のカルマを刈り取ることが出来ると民族レベルのカルマも解消されていき 世界が平和にしていくことが出来るのです。 





よく、仲間を大切にと言われますが まずは家族です。 




間違えないでください。 




人ってワガママだったり優柔不断であったり不真面目であったりお調子者であったり子供っぽかったり、なんらかあると思うのです。



そんな自分を好きか嫌いかで幸せは決まる、

そう感じます。




直せるなら直したい、そう思える性質もあると思います。


直せるなら直すにこしたことはない、と思いますが それよりも そんなところを否定しないことが大切です。



自分と向き合う、って否定しないことだと思います。 また 自信過剰にもならないこと。



以前も書きましたが、自慢もしないし卑下もしないために内観や瞑想をしていくのです。


自信過剰で自己肯定感が強すぎるとひとりよがりで幼稚なため、自分を省みることができなくなります。


自分を省みることがないと成長はできないのです。


これからは、その人にとっていちばん大切な「修行」が次々と起るようです。


そのため、反省する心や謙虚さがないと成長はしていかないのです。


いつまでも 叱られていたいですか?


いつまでも バカにされたいですか?


いつまでも 足踏みしていたいですか?



自分の本当に大切なものを握り続けているために、あなたは何をしますか?


大切なものがわかっていても 掴み続ける努力、継続力がなかったら離れていくのです。


それで良いのですか?



だから その大切なものを掴むためには まずは、自分を好きでいることです。


今の自分そのものを好きでいることなのです。


そこからがスタートです。


心が動くこと、動かないこと。 



わたしはこれが顕著だ。 

興味があることは、さっさと体が動くのだけど、ないことはサッパリ。 




最初は、どんなことにでも意識が向くのです。 
だから、体も動くのかなあ〜と思うのですが、その後はサッパリ。 



そのような物や事が山ほどあります。 



特に、糸や布は好きなので、観たら買いたくなり、貯まっています^^ 

本にしても何か教材にしても山ほどあり、その時期を待ってるようにきれいに揃えられています。 


そして 急に思い立ったように何か作業し出すのです。 



それは、大概が人のためになることです。 




人のためになるために生かされてるなあと思えることがあります。 


それは、


『情報はお金になる。 

自分の持ってる情報はお金になる。

自分の持ってる情報=自分だけの個性であり特性である。 

これからは自分の個性、特性がお金になる時代だ! 』
と 先日、力説されのですが、
だから わたしも、してみたら?と言われたのだが、ふ〜ん、と興味ない。 



わたしの価値をお金に換えるのではなく、そのままを活かしてもらえたら、それでわたしは満足なのだなと感じたのです。 


お金に換えのではなく、 人を助けたり、人を引き立てたるために使いたいと考えるタイプなんだな、と感じたのです。 


確かに、わたしはそれをお金に換えて寄付することも出来ると思う。 

だけど、わたしは違う。


いろんな生き方があるものです。




春分に向けて〜気づきと病の関係

結論から先に申し上げますと、 
気づきが起こるまで病は治らないものです。 

そのため、気づきが起こるまでひとりで考える時間が必要だとわたしは考えます。 



それが寂しさに打ち勝つことだったり人の有り難みに触れることだったり自分の好きなことに目覚めることだったり、様々です。 



しかし 越えた先には、必ず 新しい自分が居るはずです。 



 
これから春分にかけては、なにか新しいスタートを始める「準備の期間」です。
 
 
まずは、ゆったりと、エネルギーを充電をしながら、2020年の本格スタートを切れるよう、
春分に向けて準備していって下さい。
 



春分に向けては、誰もが何らかの違和感を持つようです。 


自分を見つめる期間ですね。 


また エネルギー調整のために、人間関係のズレが明確になりやすい時期です。
 
 
このタイミングで起きる別れやトラブルに、心を煩わせることなく過ごしてください。
 
 
新しい出会いの準備のために起きること。 





わたしにも別れや出会い、再会がありました。 


忘れていた気持ちを思い出させてくれました。 




わたしはお蚕だった記憶があります。 


人の手で大切に大切に育てられました。 


その頃の記憶を感じさせてくれるご著書です。 
IMG_5524


資本主義社会は『お金』さえあれば豊かになれるという世界をつくりだした。 


しかし 心は豊かになれなかった。 


そのため それは間違いだと気づく人が増えた。 


しかし その気付いた人を虐殺しようと企む人が現れた。 



『お金こそすべて』『お金が王者のシンボル』と考えてる人種だ。 



そもそも 地球はその人種に地球を貸してあげてるに過ぎなくて、期限が過ぎたから返してもらうように動いてる。 

それは宇宙もわかってること。 



地球に任せておけば、その人種は滅びるのだ。 
しかし その人種はしぶとい。 


宇宙には宇宙連合という組織があり愛で成り立っている。 


愛だから彼らが気づくのを待ってる。気の長い話だ。 


コロナウイルスとやらもその人種が造り撒き散らした、殺人兵器だ。 


しかし 生粋の日本人というのは不思議で、どんな悪と呼ばれるものでもそこから学び、新しいものを生み出す力がある。 



困ったもんだ〜 



それが日本が神国と呼ばれる由縁だと思う。 





金には確かに価値はあるけれど 価値あるのは金だけではなくて、銀も銅も菌も茶もこの世界にあるすべてのものは価値がある。 



これは、思想でもなく宗教でもなく真実なんだ。 






最近 週に一度は、姪の子供のお守りをしています。 


お守りというより、ただ 遊んでるだけですが😁 



昨日、彼はハナタレしていました。 

そこで、ハナタレに効くおまじないをしたら、コロっと治りました。 


これ、実はおまじないでもなんでもないのです。 


ただ、無心に何かに打ち込むことでハナタレは止まるからです。 




人は無心に何かに打ち込むと、体に力が貯まります。 
それがハナタレを治したり浄化を促進するのです。 


花粉症などで鼻の奥や頭がボーッとすると集中力がなくなりますね。 



無心に何かに打ち込むことがハナタレを治したり体を治します。 



無心になり何かに打ち込む(集中する)ことは、そのような効果があるのです。 



わたしはどこでも無心に集中することを常としてるので 子供と居てもそれは変わらず、子供のとの遊びに集中します。 



一緒にジャングルジムに上ったりかけっこおいかけっこしたりお絵描きに夢中になったり様々な遊びを編み出しています。 

わたしはゲームはしないですが無心になり集中力を高める意味でのゲームは良いかと思います。 


そのためには ダラダラとするのではなく 時間を決めて行ってくださいね。 



子育てするお母さんお父さんにお願いです。 


自身も無心に何かに打ち込むことをすれば子供も集中力をつけることが出来ます。 

子供と一緒に無心になり何かに打ち込んでみてください。 


また 無心になり何かに打ち込むことは体に力を貯めることになるので 冷え症や健康のためにも良いのです。 


親の意識や心掛けで子育てに良い効果が得られます。 



しかし、やってもいないうちから先々のことを考えて効果を期待するのは、続かない人のすることです。 


何かを期待する時点で無心さがなくなるからです。 


何かに打ち込むことは無心になるから出来ることだからです。



ただ、集中することと無心になり何かに打ち込むことは違うのです。 


このページのトップヘ