言葉が生まれた当初は、相手を尊敬しているので自ずと尊敬語が生まれたのだけれど、だんだん、自分は受け入れてもらえない存在だと思い始め、受け入れてもらえるためにはを考え、粗相のないよう注意するために使うようになってきているのではないかしら?
自分を受け入れてもらいたい思いの根底には、自分は受け入れてもらえない存在だという否定の思いがあるのではないか?
わたしはあまり人との付き合いが多いわけではないから気付くのが遅かったけど、自分を受け入れてもらえない前提で話をされる方が多い現実を目の当たりにすることが多く驚きを隠せないです。
「自分を受け入れてもらえない前提」
これって とても悲しい現実。
それは、成長過程で自分を否定されたり失敗を怒られたりされたからではないでしょうか?
失敗が怖くて先記事のように隠したり、次に進む勇気を失ってしまった結果ではないでしょうか?
失敗はよくあることです。
失敗は成功の母とも言いますし。
だから、本来、失敗によって怒ったり恐怖を植え付ける行為を自分に許すべきではないのです。
それを許すこと自体、問題なのです。
そこをわかっていただきたいなあと感じて書いてます。
間違ったことを植え付けられていることを知って、見直していってほしいです。
「自分を受け入れてもらえないという思いを抱くこと自体、心のバランスが崩れているということなのです。
世の中というのは、多数派が一般的とか良いと言われておりますが、心のバランスに問題があるのは大多数だと思います。
大多数派の人が心のバランスが取れていないと言えます。
そのため、コロナウィルスが蔓延していますね。
心を見つめ直すことを常々書いてきましたが、見つめ直す前に必要なことを書いておきますね。
それは、頭や体をほぐすこと。
柔らかくすることです。
受け入れようとしないのは硬さがあるからです。
まずは、柔らかくしましょう。
そんな時ほど、ゆとりを持ちましょう。
リラックス、リラックス♪
伸びして、縮めて、伸びをして。