この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2020年06月


毎日のメールアドバイス内の日記で、

家族とドライブされた途中、息子さんが車から、高速道路で車に轢かれて動けないキジを目にしてしまい、落ち込んで泣いてしまうということがあったそうです。 

多感な10代前半の男の子です。

息子さんの気持ちが落ち着くまでは、体をさすりながら一緒に居て、落ち着いてからは、パパが色々話して、彼女も聞いていたが、どんな命も尊いんだ、と言っていた。 



と書いてありました。 



どんな命も尊いものです。 
だから 神は一寸の狂いもなく動かれます。 



それだけ観ていると悲しくなるのは当たり前ですね。 

だけど その光景をよく目を凝らして観てみることによって 普段は見えないものが見えてくるから不思議です。 



その近くには、お腹をすかせた子供を抱えた動物がいたのです。。。 


命を繋げることって、こういうことなんだなあと思います。 


だから、それを上から観ていたキジが身を捧げたのですね。 


自らの命を捧げることにより、命を繋げることが出来た。


命のサイクルです。

種を絶やさないように神の元で行われています。 


命の尊さを感じました。 




先日 皆さんに資質を知る鑑定をさせていただきましたが 夏至前辺りから月星座が気になり始めて、最近では月星座を調べています。 


すると おもしろいことがわかってきました。 


月星座は自ずと知れた感情に作用する星座ですが、その感情をうまくコントロールする役割が裏星座になるようです。 


また、月星座は何かと裏星座の動きを邪魔しようとすることもあり、裏星座がうまく動かない原因はもしかしたら月が影響しているのかもしれません。 

しかし 裏星座、月星座でも両面の性質があるもので その要が裏星座にあるということです。 


裏星座さんは月星座に振り回されながらも受け入れていて、月星座は裏星座を尊敬している。 

そんな関係を客観的に観察している表星座さん♪ 


この3種の読み取り希望の方は、お一名あたりフルネーム鑑定料金でお受け致します。 

また、すでに資質を知る鑑定を受けられていらっしゃる方には、一名あたり資質を知る鑑定料金でお受け致します。(労力を使うので有料にさせていただきます。)



夏至のポイントは成長ポイントでもあるため裏星座が重要になります。 
そのため、その裏に作用してくる月星座も関わりが深くなるようですね。


わたしの表、裏、月星座を調べると この3種の特徴まるっとそのままで笑えてきます。 


お時間はかかりますがお知りになりたい方はいかがですか〜?





これからは、土や微生物、植物からメッセージを受け取る時代になるようです。 




人や世界は人工的なもので変えられてしまいました。 


日本古来の考え方も歪められてしまい、受け継がれているものが少ない状態です。 


残されているものはDNAに刻まれています。 




目に見えるようには残されていないのです。 



だから 目に見えないものに意識を向けましょう。 


土や微生物、植物からメッセージを受け取りましょう。 


日本は神宿る国と言われています。


それは、日本国の土壌そのものにメッセージが刻まれている証拠です。 




神宿る国、日本。


何かで得た情報をその時ばったりで行動に移していませんか? 


Aと言われたらAをやり、Bと言われたらAはやめてBをやる。 


AとBの関連性や規則性も考えずに、ただやみくもに行動に移すだけではないですか? 



☆☆☆☆☆☆ 


わたしは、やるべきこと(情報)がひとつでも増えたら、全体の見直しをして組み込み、新たなやり方を生み出します。。 



物事を考える(頭を使う)ということは、順序よく計画することや共通になることを抜き出すこと、違いを考えることなどをしながら、新たなものを生み出すことです。

そして、それは時間短縮に役に立つものです。 



頭を使うことをせずにダラダラ物事を進めることは 意識を集中出来ていないのでミスもするし、時間もかかるものです。 



学生のうちは勉強することが仕事と言われますが それは、計画を立てて実践することや時間を決めて学習することなどを勉強しながら学ぶことが必要だからです。 

学生は学びが本分だということですね。 



学生のうちに学び方を習得することで 社会に出てから、習得している人としていない人との差が出るのです。 


それに関して言えば、遊びの分野においても同じことが言えますね。 



要は、日々の生活で計画性を持つことや段取りを考えて動くこと また、人との関係の築き方などを経験しておくことなのです。 



小学生の頃、親から宿題をしたかを問われて、今 やろうと思ったのに〜と言われた方もみえるかもしれませんが、明らかにやろうとしているモードに見られないから言われるのです。 


せっつかれたらやる気をなくすと言われますが、もともとやる気が見られないのです。 


これは 子供だから言っていられることで 大人になってからなら仕事を失くします。 


意欲のない人に仕事は巡ってはこないので。 




まずは 習得しようとする意欲からです。 


とは言え、意欲とは 先述の頭を使うことや考えるというものです。 

ダラダラやぼーっと過ごすのではなく、意識を持って日々、過ごすことです。 


ハードルは高いとは思いませんがいかがでしょうか? 


そのために、まずは、日記をつけることをお勧めしています。 




この夏至を境に、大きな気付きを得られた方がいらっしゃいますね。 


その中で印象に残ったことがあります。


『今までわたしは条件付きの愛を求めていたのだと気付いた。
それを経て、自分を労り慈しむという意味がわかった』と言われました。 


ここに、気付きのプロセスを見たような気がしました。 



『気付いたら前を向けるんだよ』とわたしはいつも言っています。 


だけど 正直、気付いても前を向けない人もいます。 
それは その気付きは偽物だからです。 


本物の気付きを得ると、必ず人は前を向けるのものなのです。 



この方は、偽物の気付きと本物の気付きが体で理解できたと思います。 


気付く時というのは、思考も言葉も介入しないものです。 

魂からダイレクトに体に響きます。 


だから 腑に落ちるのです。 





わたしが自分の言葉で気持ちを説明させたりするのは、思考を整理させるためです。 


思考が整理出来ていないと魂が動けなくなるからです。 



わたしはいつも相手の魂を見ています。 


窮屈そうに縮こまっていて、それでも宿主に寄り添おうとしています。 


今回の方は、
良かったなあと思います。


魂、大喜びです。 





日本には元々、道理を元に暮らしていました。 


物事の因果関係に伴う道理、道、教えです。 


古来から受け継がれてきた伝統とも言えるものです。 


それが鎖国で他国の文化を知り、他者意識が芽生えたのです。 


他者を知ることでそれまでの道理が道理でなくなり崩れてきたのです。 

近代文学でそれに拍車をかけましたね。


そして、外国にかぶれて、戦争になり、敗戦を迎えました。 


すると アメリカは日本を支配するようになり、より古来から受け継がれてきた教えを壊そうと画策してきたのです。 


しかし 古来より伝わっている教えはDNAに刻まれているため、なかなか抹殺することは出来ません。 


そのため 他者意識をより利用しようと 契約社会を創り上げていったのです。 




元々の日本は他者意識=論理は必要としませんでした。 


なぜなら、日本は信用で成り立つ関係を保っていた社会だったからです。 


また、どちらかというと、感覚で成り立っていたように感じます。 


感覚派というと今ではスピリチュアルな要素を持つことを指しますが、日本の文化は論理的ではないですね。 


日本人というのは元々は感覚的に昔から生きてきたのです。 



冒頭でわたしは、日本には元々、道理を元に暮らしていましたと書きましたが、道理というのはこのように論理的ではなく、感覚で受け取るものなのです。



他者に向けては論理的思考は必要ですが それ以外は必要ないように感じます。 


それは 日本古来から受け継がれてきた教えがあるからです。 



このまま、日本人として生きていくのであれば、この教えを受け継いでいくべきではないかと思います。 



それが大和魂ではないかと思います。 





わたしは論理的思考を教えていますが物事の道理も教えています。 




最近のわたしは、質問された時に、「深く考えなくてもいいよ」と答えることが多いです。 


それは、考えるときはどうしても、言葉を使います。 

言葉を使うということは、その対象物をエネルギーと言葉に分けることになり、エネルギーと言葉に分離された言葉のみで考えることになります。 


そうすると 正確には伝わってこないです。 




言葉というものは、相手に伝えるためや相手とのやり取りに必要なアイテムであって、自分自身を知るためには必要ないと最近感じるようになりました。


その対象物そのものをそっくりそのまま感じ取るだけで 自身が豊かになるものです。 


試してみてくださいね。 


メールアドバイスしていて思うのは 

ままのままさんの言葉はホント有り難い言葉なのだなあ 

ということ。 



その人の将来を想い、的確に指摘しながら教え諭していく。 

自分が気づかない過ちを教えて改めさせてくれる。 

だから 横道に反れることなく ほぼまっすぐに未来へ歩んでゆける。 

毎日、毎日 見守っていてくれる。 

有り難いなあと心がほっこりする。 





だけど メールアドバイスを受けてる方々で、そう感じている人は少ないだろうなあ、とも思う。 


それは、言葉でわかる。 

ありがとうございますと書かれていても本心から有り難いと思っていないから。 

それでも根気よく教えてくれて頭が下がります。 




姿勢が大切。
教えを乞う姿勢が大切。 


そこには 尊敬、感謝、謙虚さ、配慮する心が込められていて、それは自分の姿勢の丁寧さに現れます。 

人にありがとうございますと言う時に深々と頭を下げる姿勢。 
人に教えてくださいとお願いするときに、身を乗り出して頭を下げる姿勢のことです。 



心と体は繋がっているので、直立不動でありがとうございますと言われても、心は動かないです。 
なぜなら、そのありがとうございますという言葉は心がこもっていないから。 



丁寧さとは、心と体が繋がっているということに気づいていないと出来ないことかなあと思います。 

心が態度や言葉に現れるものだから。



冒頭で、根気よく教えてくれて頭が下がりますと書きましたが、そう言ってくださった方がいらっしゃいます。 

その方は丁寧な生活をしていらっしゃいますね。 
わたしが手をこまねいているのを見るのが耐えられないようなことも言われていました。 




わたしは大丈夫です。 

わたしの想いは皆さんに必ず、伝わると信じてやっているから、大丈夫です。  
誰もが わたしの元から巣だって行くことを信じてさせてもらっています。 

信念というものかもしれません。 




明日 6月6日は射手座の満月です。 


キーワードは、『可能性を広げる』です。 

準備の出来た方から、可能性を広げる何かのサインが起きることでしょう。 



準備。 

どんな準備なのかと言うと、『自己管理』です。 


自己管理出来ている人は可能性に向けて走り出します。 

一方 まだな人は、相手が鏡となって教えてくれるでしょう。 

しかし まだであるにも関わらず、許されてしまう方もいらっしゃいますし、自己向上を希望されない人もいらっしゃる、混濁な世界ですのでサインを見逃す人も出てくるでしょう。 


こればかりは自己を研ぎ澄ましていくことで正確に読み取れるようになるでしょうね。 


そのため 全体的にみて、『見切りをつけて前に進む』と読み取れるように思います。 



見切りをつけられてしまわないよう鍛練を積むことを改めて自覚する人もいるでしょうし、見切りをつけて後ろを振り向かず前を向くことを求めらる人もいるでしょうね。 



また、『見切りをつける』とは、今までのやり方に見切りをつけるという意味がありますので 今まで人に頼らずにやっていたことに見切りをつけて人に頼む、委託するということも含まれます。 


私事ですが 庭の手入れを自分でしていましたが業者に頼むことにしました。 
自力でやることに囚われていましたが委託することでスッキリです。 


出来ること出来ないことをしっかり見極めて、出来ないことは手放したりプロにお任せすれば、自分の出来ることに、より目を向けることが出来ますね。 


メールアドバイスについても、人からアドバイスを受けたくないと自力でやっていても苦手なことならば自己管理を委託してもらえれば良いだけです。


わたしのしてることは、自己管理委託業なのね。 


その代わり、こちらが管理しているから指示されることはmustです。 



責任と管理することが好きなままのままさんからでした。 




一切の執着を外していい人やめて生きてみると、自己主張が強くて、自分勝手で思いやりもなくていい加減で悪魔ちゃんみたいな自分が現れてくる。 


最初は、人から嫌われるし無視もされる。 


そんな自分を抱き締めて慈しんで生きていく。 

そうすると 周りもそれをだんだん許してくれるようになる。 


そうなって初めて、周りの温かさを感じられて、生きていて良かったなあと思えるようになり 自分に良心が芽生えてくる。 



やんちゃやってごめんなさい。 
自分の意志を突き通してごめんなさい。 
自己主張してごめんなさい。
自分勝手でごめんなさい。


と謝罪の気持ちがわいてくる。 


わたしはただ、胸の奥から突き上げる何かがわからず暴れていただけだったんだけど、暴れて謝ったらたらスッキリしたのか自分のやりたかったことに気づき、やるようになりました。 


でも、わたしからしたら、自分勝手にやりたいことやってきた延長にしか思えなくて、それが自分の使命だったなんて気づいたのは、だいぶ経ってからなのです。 



いい人やめて楽に生きてるだけではここには辿り着けないと思う。 


悪魔ちゃんみたいで自分勝手で自己主張の塊のような自分を慈しみ大切にすること。


魂はそれを望んでいる。 
神様もそれを望んでいる。 



だからわたしは、今でもそんなわたしを愛してる。 

今でも、たまに それが顔出すけど 気にしない。



どんなわたしも誇らしい。 

隠さず出してるわたしが誇らしい。 




きっと 神様もそう思ってる。 




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