息の本体に帰りなさい。
息の本体に帰ろと言いとるじゃろが。
息の本体に帰れば弥勒の世の世界に戻れるのじゃ。
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わたしが神を意識する時は、屈伸運動(運動原理)が基になっています。
なぜなら 神とは運動行動の名称だからです。
屈伸運動は、伸、縮、止から為ります。
伸、縮、止こそが神の元祖なのです。
しかし 伸、縮がないと止が存在しないので、
止が神たらしめているのは伸、縮があるからですが、止には、伸、縮をさせるだけの力が備わっているから伸縮できるので、止が中心となるのです。
これが生命運動の基となり、呼吸(息)の元となっています。
そして、伸縮運動が元になり回転や波形運動が生まれました。
それは 止の住む場所は無重力だから。
無重力な中で力が加わることで、熱が生まれ、凝固=物質化が始まり、気体が生まれ、水蒸気が生まれ、水や光が生まれました。
それが神の運動です。
神の運動からわたしたちは生まれたのです。
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《呼吸》
神は鼻から命を授けてくださった。
口から吐く行為は、神の愛を発揮することで、それが感謝だ。
吐いたら、自ずと入ってくる。
神の愛を発揮したら神から命を授けられるのだ。
故に、
出したら、必ず 入ってくる。
自ら与えたら、巡って入ってくる。
決して、なくならない。
息の本体に帰るとは、命を授けてくださった時を思い出すこと。神の愛を発揮した時を思い出すこと。