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日本人は伝統的に論理が苦手だった
アメリカ合衆国が建国される頃 アメリカの国民たちは民族も宗教も文化も 言語も異なる人間たちと 共同社会を作る必要に迫られた
彼等は互いに理解し難い他者だった
そういった他者とひとつの社会を作るわけだから 当然社交術が発達する
だが その一方 自分の身を守るために拳銃はどうしても手放せない
また ビジネスにおいては すべてが契約社会である お互いに信用できない人間同士のやり取りだから 相手がどういう人物かではなく 契約がすべてであって それが正しく履行されるために裁判が日常的になる
それゆえ言語は当然 論理的なものになる
お互いにわかり合えないことが前提なのだから YesかNo かが最初に来る
否定文 肯定文 疑問文では結論が最初に提示され る 初めに結論を提示し あとから不定詞や関係詞で細かいことを説明する こうした英語の言語形態は すべて相手に対する不審に根差したものだ
一方 日本語では 最後に肯定か否定か あるいは疑問文かが明らかにされる
私たち日本人はそれを当然のように思っているが このような言語形態を持つ民族はきわめて稀である
だが 私たちはそういった日本語を決して不自由に感じることはない
相手の話を聞くとき 最後に疑問文になるか 否定文になるかなど 何も考えずに相槌を打っている まさか 相手が最後の最後で すべてをひっくり返すことなど 予想だにしていない
つまり 相手の信頼を前提として会話をしているのである
だから ビジネスの場でも 私たちは契約よりも「顔」「コネ」つまり 相手が誰なのかを重視する

これは何も今に始まったことではなく 古くからの日本文化が影響している
時代を遡ってみると 江戸時代まで 島国の日本は鎖国状態にあった
だから 私たちは狭い集団の中でうまく立ち回らなければならず 村八分はそのまま死を意味した
そのような状況下で発達したのは 敬語であり湾曲表現であった
お互いに何も言わなくても分かり合っている集団
そこでは以心伝心が重んじられ 言語は必然的に感覚的なものとなった
言葉を持ってしか分かり合えない人間はよそ者で それはそのまま集団からの排除を意味した

そうした私たちが明治になって突然国際社会に投げ込まれたのである
そして今や否応なく国際的な競争を強いられてしまった
民族も宗教も文化も歴史も異なる外国人たちと同じ次元で渡り合えなければ 日本という国家自体が沈没するし 一人のビジネスバーソンとして生き残ることはできない
そこで 必要なのは 強い他者意識とそれに伴う論理力という武器である
ところが 皮肉なことに私たちは今や論理力を自ら手放そうとしているのだ
今こそ私たちの手の中に論理力を取り戻さなくてはならない
論理力を獲得するためには まずは個人として自立することが必要である
そして 自分以外の人間をも自立した個人として認識する それが他者意識である
論理力は そうした個人と個人とのコミュニケーション力にほかならない



出口汪氏著書より抜粋