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産まれて間もない赤ちゃんには まだ他者意識が産まれていない 泣けばだれかが自分の不安を察して それを解消してくれると信じているから お腹がすいたときや おしめを取り替えてほしいときなど その度に泣き声をあげる

他者を意識するとき 論理は自然発生的に生まれるといったが 成長し 幼稚園に通いだすころになると 早熟な子供は自然に他者を意識し始める
もちろん そこには自分の不満を知り それを解消してくれる人が絶えずそばにいるとは限らない さらに そこで出会う子供たちはお互いにその感情を理解できない他者である そうした子供たち同士がいやでもコミュニケーションをとりあわなければならないとき 子供はムイキにのうちにでも筋道を立てようとする
そのときに 論理が自然に発生するのだ

幼稚園児の論理など 幼稚なものにほかならない だが 子供が「そのおもちゃ 誰々さんが持っているよ(具体例)」「先生もいいねて言っていたよ(引用)」「だから お母さん そのおもちゃほしいんだ(因果)」などと言ったとき 確かに論理を駆使しているのである
だから 依存心が強い子供ほど感情的で 自立した子供ほど論理が発達する

一方 他者意識が希薄なとき 言葉は省略に向かっていく

初対面の人に対しては丁寧な言葉を使うが 次第に気心が知れていくと 言葉遣いはぞんざいになり どんどん省略されていく
今現代は 大人になりきれない若者 大人たちが 世の中に溢れ出している
彼等は何か不満があると「ムカツク」などの感情語を使用する
そこには他者意識も論理もない 世界がどうであろうと 真理がなんであろうと自分が「ムカツク」と言えば それは否定されるべきこととなる
「ムカツク」と言えば だれかが自分の不満を察してそれを解消してくれると心のどこかで思っているから 自分の不満を他者に向かって論理的に説明しようともしない