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人生に迷っている人、
 
「私はどうしたらいいの?」と思っている人、
 
「人生ってむなしい・・・」と感じている人など、
 
ぜひ読んでみてください。
 
さて、
 
人は「自分」のために生きようとするのではなく、
 
『家』のために生きるべきである。
 
というのは、
 
私が日本の昔の考え方を学び、
 
自然を見ていると、そうである、と思えるものでしたが、
 
この言葉のもう1つ深いところの意味を今日、理解したように思います。
 
というのは、
 
『家』のために生きる、
 
というのは、
 
『子供』のために生きる、
 
のとは違う、
 
ということです。
 
というのは、
 
文字通り「子供のために生きる、」と、
 
子供のためにならないことがあるからです。
 
カンタンにいってしまうと、
 
子供を「甘やかし」すぎてしまうし、
親が「子供に依存」してしまう可能性が高くなってしまいます。
 
でも、ここで注意しないといけないのが、
 
「子供のため」と親が考え過ぎると、
 
『場』の中心が「子供」になってしまう。
 
つまり、それで何が起こるかというと、
 
『生意気な子供』、
 
『親よりも偉いと勘違いしている子供』
 
ができてしまう。
 
 
日本には今、
 
両極端の人が溢れている。
 
1つは、『自分大好き』の人。
 
「自己実現」のために、なるべくはやく子供を預け、
「自分の仕事」「自分の夢」のために生きようとする人。
 
これは西洋思想であり「自己」を大事にする「個人主義」が生んだ産物。
 
高度経済成長にともなって増えてきたタイプで、
「団塊の世代」から、バブル時代までに大人になった人、いわゆる「バブル世代」に多い。
 
彼らに待っているものは、
 
「人生の虚しさ」だ。
 
これは欧米でもだいぶテーマになってきているようだけど、
 
「自分中心」で生きていると、
 
『死んだら全て終わり』となってしまうから、とても苦しく、虚しい。
 
「老いる」ことは「怖い」ことになる。
 
子供も「自分のため」に生きるから、親は見捨てられるのだ。
 
こういう人は、そもそも子供や家庭を持たない人も多いから、
そして、人生の最後は孤独と恐怖のなかで過ごすことになる。
 
一方、こういう親を持った子供は、永遠の「寂しさ」におそわれる。
誰といても、いつまでも『孤独』を感じる。
 
とにかく「さびしい・・・さびしい」と、「人とのふれあい」を求め続けるが、もちろん満たされることはない。
 
もう1つは、「自分」を失い、「生きる理由」を見いだせない人。
自分の人生を、我が子に捧げてしまう。
 
「団塊の世代」以前と、「バブル崩壊後の世代」で増えつつある。
バブル崩壊後の世代で増えているのは、「自分の人生」を大事にする親に育てられたからだ。
 
ようするに上のタイプの親が増えたことによる自然な反動。
 
このタイプの人は、「自分探し」に奔走する。
 
一部の人は、「自分の夢」を見つける。
 
でも多くの人は、当然ながら見つけられない。
 
全ての人が「自分のやりたいこと」「自分の夢」なんてあるワケがないから、当然といえば当然のことなのだけど・・・
 
最終的に彼らが反応するのは「他人のために自分を犠牲にする」ということ。
 
人を癒すこと、
 
人が喜んでくれること、
 
人を助けること、
 
が嬉しい。
 
もちろんそれ自体は悪いことではないけれど、ときどきいろいろなトコロで話題になるように、「自分のため」に他人が必要なので、注意していないと、「搾取」というカタチになったり、「相互依存」というカタチになりやすい。
 
このタイプの親を持った子供は、人生でいつも重圧を感じ続ける。
というのは、自分に親の人生がのっかってくるからだ。
 
重圧で潰されてしまう子、
 
自分の夢を失ってしまう子。
 
また子供によっては、そんな親をバカにし、また「大人」をバカにするようになる。
 
だって、人生は自分を中心に回っている、と思ってしまうからだ。
 
でも、甘やかされて育ったので、社会に出ると容易に潰されるため、自立ができない。
 
これはどちらも問題で、
 
そして、どちらも日本にたくさんいる。
 
じゃあ、どうしたらいいの?
 
自分のために生きるべきか?
 
子供のために生きるべきか?
 
 
そう、そこで出てくるのが、
 
『家』のために生きる、
 
ということ。
 
 
『家』とはどういうことかというと、
「祖先」「自分」「子孫」
が全部大事にされている、ということだ。
 
 
自分は祖先(もちろん「親」も含め)のお陰で、
ここにこういう状態でいられる。
それに感謝し、
その恩に報いるため、自分は自分を大事にしつつ、子供のために生きる。
 
子供のために生きる、
 
といっても、
 
祖先の愛情を感じて、自分も大事にしなければいけない、
 
自分も素晴らしい人生を歩まないといけない。
 
そして、
 
祖先からの想いを繋げていくために、
子供が「立派な大人」になってもらわないといけない。
 
つまり、
『家のため』と判断基準を持つと、
「自分のため」と「子供のため」のバランスを取りやすくなるのだ。
自分も最高の人生を生きなければならない。
 
子供も最高の人生を歩んでもらわないといけない。
 
「自分のため」そして「他人のため」に生きる。
 
ちょっと難しい言葉を使うと、
 
ようするに『高い抽象度』をもって子育てができるようになる、
 
「高い抽象度」を持てば、
 
自分が今やっていることの意味・結果・状況を客観視できる。
 
カンタンに説明すると
 
子育てで悩んだときに、
 
「コレは、『家』が繁栄していくことに繋がるだろうか?」
 
と考えたらいい。
 
 
そう考えたとき、
 
あなたの判断には、
 
「あなた」と「子供」だけでなく、
ずーーーーーーーーっと繋がっていく祖先たちと、
ずーーーーーーーーっとつながっていく子孫たちが含まれていく。
これって、とても力強いことですよ。
 
だって、ものすごくたくさんの人と一緒に生きている、ってことなんですから。