わたし 思うんです。


小さい頃から お寺参詣をしたりとか 神社詣りを 日常として過ごしてきた人って それなりに軸ができているなあ と思うのです。


わたしは 祖母が信仰するお寺に頻繁に通っていたり お寺の住職とは家族ぐるみの付き合いをしているので お詣りをすることが日常なんです。


だから 毎日のお看勤や神社で手を合わせること自体は 気負いなく できることなんです。


だから 今までの人生の中で 悩みを抱えて苦しんではきましたが 戻るところは 自分自身がわかっているので

それなりに 苦労はしましたが

戻ることができました。


これは 神のお導き、というよりも 神さまへの信仰心があったからなんだと思うのです。

信仰心って、
神さま仏さまを敬う心を育てるものです。


神さま仏さまを敬うことを日常でしているからこそ、感謝することも日常であるし 人に挨拶することも日常なんですね。


挨拶って
心を開き、相手に迫ることを意味します。


相手に迫るって
自己主張をするということですが
自分の心を開いてから、自己主張をするということです。

受け入れ体勢を整えての自己主張ですね。。。



『相手への受け入れ体勢を整えて、自己主張をする』って 相手を敬う心と自分に対しても敬う心があるからこそ できるものなんですね。


それが 『挨拶』なのです。



信仰心を育てるということは


神さま仏さまを敬うだけでなく
相手も自分も敬う心を育てるものです。



日常的に 手を合わせることがない方は ぜひ、神さま仏さまに 毎日 手を合わせてください。



そうすることで

神さま仏さま、相手も自分も敬う心を育ちます。


挨拶をするときにも 心をこめて、挨拶をしてくださいね。