この世の中が間違った原因は

学力さえつければ、上に立てる、人を導く、教えることができる

という考え方で 社会が成り立っていることではないでしょうか?



昔は 違ったはずです。


人を導く者は、品格があり理性があったと思うのです。


しかし 今では、全く品性は関係ないとでも言うような方々が 上に立ちやりたい放題しています。



人を導く意識レベルにない方々が どのように教育できるのでしょうか?


『導く』『教える』意味がわからずに 上に立っている。


勉強ができればいいという問題ではありません。


人として 品性のかけらもない人が 上に立っていいわけがないのです。



教育現場、医療現場等 不祥事が多いのはそのためです。






いつの頃かはわかりませんが
きっと、自分の生きている分野に不平のある者が 自らを省みずに、下剋上を起こしたのでしょう。



人が生まれてくるには、生きる目的がありますが 魂の目的というものもあります。


魂は分野に分かれています。


医療系魂、教育系魂というように。。。


だから、医者の息子は医者になるし
商売屋の息子は家を継ぎます。


それが 家系です。


だから、自分の適性は自分の家族や先祖を辿れば見えてきます。


でも、そこを否定して 違うものになろうとして歪みがくるのです。


自分の適性というのは、いわば、土台です。


自分の適性以外のことをやろうとすることは、自分の土台を無視する行為です。


美容師の娘が美容師を目指せば、親が美容師だという土台があるから、仕事もツテで探せます。


医者も同様ですね。


医者の息子は医者を継げば、土台があるから、継ぐだけですが
弁護士になろうとしたら、その土台は 医者になる土台に比べたら、弱いのです。



生きるということを考えた時に それは、最も不利なことなんです。


わかりますか?


医者の息子は自分の病院を継げますが
美容師の息子は 自分の病院がないから、よほどの努力がないことには勤務医止まりです。


そこをわからずに、勉強さえすれば医者になってステータスを得ることができると 勘違いする。


そこで 自分の愚かさに気づかされ、不満を持つのです。


意識が高ければ、その不満を原動力に変えることができますが
低ければ、。。。。



結局は、意識が低いと 争いができるのです。




だから

根底に、生きることの大切さを知っている者は、無謀なことはしないはずです。

チャレンジっていい言葉かもしれませんが
死と隣り合わせなんですよね。



今、就職活動をしている人に知っていただきたくて書いています。


自分の土台を無視して生きるということは、自分の過去を否定して生きるということを死ってください。


家を出て、働くことに夢を観ることは構いませんが、現実を見てください。



今のあなたをつくっているのは


紛れもなく

あなたが生きてきた過去なのです。


あなたを生んでくれた親、兄弟親類縁者があなたをつくっていることを 感じてください。



誰一人欠けても、今のあなたはいないのです。



あなたの土台を無視しないでください。



その中に あなたの生きるというヒントがあるのです。