自分は光輝く太陽なんだ!


という意識は、元々 誰にだって 持っているものです。



それが『自信』です。




いえいえ、わたしはそんなじゃありません。。。


これは『謙遜』です。



内側に

わたしは光り輝く太陽なんだ!と自信があるから、謙遜していられるのです。


『自信』と『謙遜』は紙一重です。



表と裏


だけど、世の中は

自信を持って、
わたしは光り輝く太陽です!
という人を観ると、嫌悪感がわいて攻撃してこようとします。


光が強すぎるからです。

だから
『謙遜』という光りを押さえることをして、相手に接します。



光っている人は 自己主張しなくても、目立ってしまうのだから
あまり、自己主張はしないほうが身のためです。





世の中には、光っていない人も多く存在します。


自分の光りを覆うほどの自我を持っているのですね。


そういう人たちは、光りを浴びることを嫌がります。


自分の自我を溶かされるからです。


人は内側の太陽にこびりついた自我を含めてわたしだと認識するようです。




肉体がない頃は 魂そのものが『わたし』でしたが 、この地球に降りた時点では 魂と心と肉体がセットされたものを『わたし』と認識します。


魂と心と肉体がセットになった『わたし』に自我がくっついてきます。。。


自我が心を惑わしていくんですね〜


惑わされると、魂は自己主張できなくなっていきます。


ぐーっと、押さえつけられて身動きできなくなって、暗闇の中で自分の光りを消しています。




そんな状態の方が多いです。


だから わざわざ『自信』という光りの方と出逢わされるのですね〜



内側にある魂が出たい!出たい!とうごめいているから、それに反応したお仲間さんが自分の光りをわざと見せつけるのです。


そうすると、自我はいてもたってもいられません。

『自信』のある魂を攻撃するのです。



『自信』さんは 攻撃されると痛いです。

傷つきます。

だから、『謙遜』という自我をかぶって身を守ります。



自己主張しなくても、光ってしまうのです。


光りを発信しているのです。



でも
『自信』さんの光りを受けた自我は だんだん溶けていくんですよね〜



そうやって 自我を溶かしながら、魂を救出していくのです。




わたしの光りは自我をジワジワ溶かしていきます。


時として、魂にダイレクトに光りを発信する場合もあります。


魂が中から動き出せば、それは 早いのです。



わたしの光りは今日も万全です。



ままのままをお楽しみください。