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人が生きるために大切なことは まず、素直になること。 


次に、自分のいたらなさを認めること。 


次に、認めたら詫びること。 

詫びた後は、いたらない自分をいたらないままにせずに 努力をすることです。 





キリスト教では、詫びたら許してくださいます。 

いたらなさを認めて詫びたら、許してくださいます。 


それでは、人は成長は出来ません。


口先だけ詫びたところでいたらなさは直りません。 


いたらない自分を認めて詫びたら、努力をしなくては 人として成長は出来ません。 



よって、キリスト教は 人は成長しなくてもよいという教えなのではないのでしょうか? (これは、わたしの解釈です) 



また、覚醒する と言われますが 


覚醒するとは、 


自分のいたらなさがわかった。。。 

ということに過ぎません。


覚醒するとは 
自分がアホだとわかった というだけのことです。 


アホならアホなりに、ひっそりと生きるのか アホから脱却するのかは、自分自身に掛かっています。 



光が観たい!というのは論外です。 




そして 努力をすればするほど、人は守られている存在の壮大さに気付かされるのです。 


だから、謙虚になれるのです。 


努力がないと、ただ 自分のアホさ加減がわかっただけの人になります。


いたらない自分を見つめ、出来ないことを出来るように努めることで 人として成長すると同時に、頭が垂れていきます。 



でも、どこまでも試されるものです。 


謙虚にならなければいけない という世俗的な発想にはならなくて、自分に嘘はつけないので 頭をもたげてくることもあるのです。 



どこまでもどこまでも学びは続きます。 



ちなみに、この素直になるという段階が4次元世界の住人と言われる人です。 


また、5次元世界の住人とは、努力をして頭を垂れる人です。


4次元世界の住人のままでは、世の中を見渡すことができません。 


何故なら、5次元に必要な時空の距離が掴めないからです。 


時空を操れるだけでは所詮、4次元世界の住人なのです。 

パラレルワールドは、いくつかの時間が存在しますから、4次元です。


でも、4次元のままではいられないのです。


地球は5次元に突入しているのですから。


5次元地球の住人になるために、人間は努力が必要なのです。 


どこまでもどこまでも学ばせていただけるのが人間なのです。



有り難いなあと感じます。