想いに報いる。。。


人のために、と想いを込める。


人のために、と願う。


人のために、と祈る。



誰でも、願いを叶えるために、想いを込めて 祈ったことはあると思います。



だけど

逆の立場

想われて
願われて
祈られて


その想いに報いよう!と思ったことはありますか?




人から愛されたことがない、想われたことがないからわからない。。。と言われれば、それまでです。



愛される実感や信頼されている確信が起きますと、 その想いに報いようとする力がわき出てきます。



だから、愛されている感覚がある人は強いのです。
また、支えられていると人は強くなれるのです。



だけど、人は、発信者になりたがります。

自分が世界を変えたいとか世のため人のために動きたいとか考えます。


だけど、逆の立場になりたいとは、あまり思わないと思います。



それは

与えられる人というのは、とかく弱いと考えられがちです。



ご老人は、介護をされる側になりますし
病気になったら、治療を受けますし
障害者と呼ばれる方は人の助けを必要とされます。


人に迷惑をかける。。。との理由で、そうならないようにと思います。



だけど 実際は、そうならないと見えてこないこともあります。



そうなってこそ、人の想いを知るのではないでしょうか?


愛されている
支えられている


そう感じたら、人はどうなりたいと思うでしょうか?



そう感じたら、

そうそう、人の役に立ちたい!

とは、思わないと思います。



そう感じたら、


自分の行いを改めよう。
自分を律しよう。

規則正しい生活をしよう。

これ以上、人の迷惑にならないように努力しよう。
地道に、できることだけやろう。

身の回りのことをきちんとしよう。


と思うはずです。



その想いを感じたら

無茶はしない。

余計なことはしない。


感謝をするということは、基本 そういうことなんです。



自分の力を過信せずに、いただいた想いを大切に感じたら 心の底から 反省することができて
身を正すことができるのです。




人は 何者にもならなくてもいいんだ

ということがわかるのです。



それが

想いに報いる

ということなのです。




いただいた想いを感じたら それを無駄にはできないはずなのです。




だから、病気の人はしっかり治して、療養するのです。

病気が治るか治らないうちから働いて、命を無駄には使わないはずなのです。


ご老人は、その想いを感じたら、暴飲暴食を改め、少しでも長生きしようと努めます。


また、障害者と呼ばれる方は その想いを感じたら、生かされていることを無駄にしない生き方をされるでしょう。




生きていることがご恩返しです。



人に何かを与えることではないのです。



そういう人は、生きているだけで 人に与えられる人だから、それ以上しなくてもいいのです。



世の中って そのように回っているのです。




人はすぐに 自分を過信して、何者になりたがる。


それが 悪いとは言いませんが、わたしたちは 生きているだけで 人に与えられる存在だということを知って欲しいです。




わたしたちは 誰もが愛されている存在です。


それを感じようと、感じまいと、愛されている存在です。



生かされてありがたいと感じるなら、その想いに報いてください。




それが わたしたち人間の使命だとわたしは思っています。