人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから


『怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。』

と、思えるのですが


この想いって、完全ではないのです。



できないことは何一つない。。。という想いは、

『すべてを受け入れます』
という意味でもあるのです。



だけどね


すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて

引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。



『すべてを受け入れる』って女性性で

『引き受けない』のは男性性

なのです。



『すべてを受け入れる』想いと
『引き受けない』想いの奥にあるのは、

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』


だから、


見守れるし、待てるのです。



見守る愛です。


見守る愛って全知全能という意味なのです。





見守る愛って


継続して、相手を信じて待つことができる。




これが 神様の愛なのですね。


人間の愛ではないのです。



だから、


この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあ〜なんて わたしは思っています。


いくら わたしの魂が神様だとしても
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。



だから、


人間においては


この『見守る愛』はできないけど


ギリギリまで待つ。

そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。



これが

人の愛だとわたしは思うのです。



人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。