おさらいしますと、

自分の不満をそのままにせずに 解決するように内観したり、行動に移すことで受容できるようになり 結果、相手も変わるということです。

しかし
認める、自己受容のままだと
意識はあっても干渉しなくなるため
社会的立場云々にこだわることもなくなりますから
いちいち、そこに目をつけなくなります。

それ自体は、なんら問題もないのですが
わたしたちは 社会の中で生きているため、各々が足並みを揃えて生きていくのが 本来の姿なのです。

この受容のプロセスを何回も何回も繰り返していくと

自分本来の姿に気づかされます。

それは

人を干渉しない という姿ではなくて
人を受け入れていくという姿なのです。

意識はしているけど干渉しない、見守る愛 というのは 聞こえは良いですが それは、ただ受け入れる度量がないだけなのでは?と思ってしまいます。

このように スピリチュアル業界では、見守る愛まがいのことを勧めているようにしかわたしには、思えません。

人を想い、人を愛することは もっと、深いものだと感じています。

確かに、信頼をしているから見守ることができるし 気づいていながらも干渉をしずにいられます。

待つという作業ですね。

いつまでも待つ、根気よく待つ。。。

この見守る愛は男性性特有の受容です。

しかし これでは、女性性と男性性の統合はできません。

女性性と男性性の統合は 待つという見守る愛よりもすべてを受け入れる、丸ごと包み込むという愛なのだと わたしは感じています。

丸飲みする愛です。

わたしは 女ですから、空ちゃんの見守る愛を 丸飲みしています。

愛すればこそ♪

こだわりがないということは、干渉しなくなるというチンケなものではなくて、
好きも嫌いもなく、良いも悪いもなく、出来る出来ないに関わらず
素直に、丸飲みすることだと思っています。

それが 女です。