誰もが 自分を否定せずに生きていられたらいい。

現代に生きている人には、このことが大切に思います。


『自分』という存在を横に置いて 考えがちになる。


人のため。。。と言いながら、自分はおざなりにする。



自分を信じる とか 自信を持つ とか わからない時期があった。


それは 自分で自分のことを否定していたからだった。


わたしはいらない子なんじゃないか とか 本当にわたしは母親のお腹から生まれたのかをよく疑問に感じていた。

それは 親の育て方によるものだったと思う。


わたしはおばあちゃん子だったけど 10才の時に他界してからは わたしは母親になじめずにいた。

他界するまでのわたしは いじめられっ子だったけど 自意識は非常に強かった。


だけど 他界して、母親と過ごすようになってからは いつも賢い姉と比べられてきた。



お前はバカだ。
わたしの娘じゃない。


そう言われ続けた。


姉が結婚するまで それは、続いた。



姉が結婚してからは 異常にわたしを頼り、甘えた母親だった。


その後のわたしは母親をうらみ、蔑み 逆らい 生きてきた。


たくさんたくさん、母親を泣かせるようなことをしてきた。


だから 懺悔のつもりで 母親の気に入った人と結婚した。


それで 幸せになれると思ったんだ。


だけど、結婚して子供ができ、子供を愛しく感じれば感じるほど
わたしは愛されていなかった
という想いで苦しんだ。

そして、主人のことも

この人はわたしの本当のお 相手じゃない!と気づいてしまった。



赤ちゃんという無垢な魂にふれると 人は霊的に敏感になるのだと思う。



本当のお相手というものは、わかる。


わかるとしか言いようがないけどわかるものだ。

子供を授かるという奇跡が人を霊的に導くのだと思います。


主人は確かに、わたしの本当のお相手ではないかもしれないけど 娘の父親には間違いない。


愛しているかと言われると 疑問だけど
わざわざ そこを聞かれなきゃいけないようなものでもない。




自分を否定している時というのは、
たくさんのものを欲するのだと思う。



認めてほしい 愛してほしい
何かに執着してしまうのも その表れだろう。



そんな時期があるということだ。



そのうち、なくなる。


なくなるんだ。。。



だから
その時期を一生懸命に生きるだけでいい。




生きるだけでいい。



誰もが 自分を否定せずに生きていられたらいい。

そして また、誰をも否定せずに生きていたいものなんだ。



だから 自分にとって特別な人っていないのかもしれない って思うよ。


本当のお相手なんて気付かなくても、出逢わなくてもいいのだと思うんだ。