人は 「世の中の人のためになりたい!」と 願って生まれてくるといいます。


今日、次のような質問をされました。



『認知症になったり 年老いて歩けなくなったりして 人の役に立てなくなっても長生きをしているご老人がいらっしゃいますが その場合にはどのように考えたらいいですか?』



認知症になったり介護を必要とされている方は、人のお役に立てないと考えることは間違いです。


そのような方は、自分を介護してもらうことで 相手にお徳を積ませたり、成長させようとしているのです。



本来ならば 実子がお世話をすることが当たり前の話です。

自分を育ててくれたご両親なのですから。


だけど、実子が介護ができない事情が生じたり、放棄をした場合には 他の人の手に委ねることになります。


その時には、その方に委ねることになり、その方の成長を促す役目を負うことになります。



人は 役に立ちたいと考えるとき 自分の得意なことで役に立ちたいと思いますが
ご老人は、その身体で お役に立ちたいと考えます。


動かない身体、働かない思考で役に立ちたいと考えます。


それは、とても素晴らしい行為です。


尊い魂です。


その尊い魂をお持ちのご老人の介護やお世話をさせていただけるということは とても有り難いものなのです。


お徳を積まさせていただけるということをおろそかにしてはいけません。


ただ、自分からは何もできなくても 人の成長を願い、 その身を委ねることでその人の成長を促し、お徳を積まさせる行為は 頭が下がります。




お年寄りの方でね

自分はなんの役にも立てない!人から介護されるなんて口惜しい!


と、嘆かれる方がいらっしゃいましたら どうぞ、教えてあげてください。




あなたの魂は、
わたしを成長に導いてくれる、お得を積まさせていただける尊くて、勇敢な魂だと 教えてあげて、感謝してください。


ありがとうございます と、どれだけ深々と頭を下げてもあまりあるくらいのお徳を積まさせていただけて ありがとうございます と抱きしめてください。





人の役に立ちたいと実践している方にでも同じことが言えます。


人の役に立っていると思い上がること自体がごう慢な気持ちだと気付いてください。


人の役に立っていると思っていても、実際には お徳を積まさせていただいているのです。


育てていただいているのです。




世界中の方々に この世のからくりを知っていただきたいです。



誰もが 尊い魂を持っています。


誰一人、いらない魂はないのです。



人がひとり生きるということは、感謝すべきことなのですね。



生きていてくださり、ありがとうございます。


わたしたちにお徳を積ませていただき、ありがとうございます。


生かしていただき、ありがとうございます。



合掌