今までの世の中は だらしない人やいい加減な人をダメな人間だと決めつけて よそに追いやってきたけど これからは、そんな人でも認めて許していくようになっていきます。

そのため 今までの社会的常識が通用しないと感じるかもしれませんが それは通用しないわけではなくて 社会的常識そのものは 自分を律するために必要であり、他者を裁くためにあるものではないということを指しています。

自分を律するために法律も規律も常識もあるのです。


自分のためのものさしなのです。



元々、人を裁くためにあるわけではないということです。



人が己れを律することができないのは、その人しかわからない事情があるものです。




それならば、自分はミスをしてもよい、自分は迷惑をかけてもよい、自分の事情をわかってもらいたい というものとは違うものです。


そこは常に自分を律していきたいものです。



そうしたら 自分への許しがないじゃないか と思われるかもしれません。


それは 他者を許すことで 自分の拘りがなくなるという意味で 自分自らが、だらしなくいい加減になるわけではないのです。

自分には自分の常識はあってもよいのです。


他者に当てはめないだけで。。。



それが 自分を許すということです。



他者を許したところで自分は変わらない。


安心してください。