人の幸せを願うということを考えてみました。


自分が人のために何かをして差し上げることで喜ばれることは、とても嬉しいと感じます。


だけど もし、相手が喜んでくれなくても わたしはさせていただくと思うのです。


相手が喜ぶことをしなさいと わたしはよく、姉から言われます。

あなたはいつも自己満足で人の気持ちがわからない。

とも言われます。



だけど わたしは いくら、相手がしてほしいことであっても 相手のためにならないことだったら身体は動かないのです。


相手のエゴを満たすためにわたしの身体は動かないように出来ています。



幸せと言うのは、相手のエゴを満たすことだと思えないからです。



相手が自分の意思で考え、行動することが 本当の幸せだと考えます。


だから、自分のエゴを満たすことが幸せと考える方とは意見が合わないのです。



だけど わたしはいつもいつも 相手の立場を考えて行動します。


相手のエゴは満たしてあげられないけれど わたしはわたしの考えで行動します。



わたしは 相手のエゴを満たすことはできないけれど いつもいつも、相手が自分の意思で考え行動できるよう願って行動しています。



人から与えられた幸せは本当の幸せとは言えない。


自分で乗り越えた時の言い様のない高揚感、安定感、安心感こそが幸せだと知っているから。



だから、誰もが 感じてほしいなあ〜 と願っています。



わたしの力で 一瞬、心が楽になることはあるだろう。

だけど それは、永遠ではない。


永遠の喜びを得るためには、自分の力で立つことなのです。