『この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する』



確かに、そうですが 心がやさぐれているときは、感謝出来ません。


そんな時は

「そっか〜 感謝するためにあるのか〜 でも、わたしは出来ないわ〜」
と言って、人に意地悪しちゃうのもアリなのです。

それを、「感謝するためにあるのに、わたしは感謝できない!感謝できない!わたしは最低だ!感謝しなければいけないのに」と 自分を責める必要はないのです。



「わたしには出来ないわ〜」と 人に意地悪しちゃうと 神様から、これでもか!と、カルマ返しをいただきます。


それで 人は「人に意地悪しちゃいけないわ。
教えてくださりありがとうございます。」

と気付けるのです。



それを
「感謝しなければいけない!」と 頑張ると

神様は、指摘しようがないのです。
形としては、感謝してるからです。
気付かせにくいのです。


わたしは 感謝できないやさぐれ女に成り下がると、頭をしこたま壁や柱に打ち付けます。

たんこぶつくってマス。


基本、「〜しなければいけない」と思って生きていないからです。


でも 世の中の人は、出来ないことでも無理をして、「〜しなければいけない」と頑張るようです。


気づきは起こりにくいです。


何故なら 素直にならないように、努力をすると心はどんどん捻れていくからです。


捻れるから気付かなくなるのです。



捻れをゆるめる努力をするのです。

素直になる努力をするのです。


「〜しなければいけない」という努力は、自分の内側に正直になる努力なら良いのですが 自分の内側に逆らう努力は必要ないのです。


「〜しなければいけない」は良くない

と言われますが それは、自分の内側の想いに逆らう努力のことを指すのです。



自分の内側に正直になる努力はしてもよいのです。


今、感謝できないなら 感謝できない自分を一生懸命にさらけ出すことです。


押し込めないのです。



すると 気付かされます。


槍も飛んできますし、頭をぶん殴られます。


気付くことを恐れないでください。


傷つけられているのではないのです。


気付かされているのです。



神様からの愛のムチを敵からのムチだと勘違いするようですね。


勘違いするのは、心が捻れている証拠です。


敵がいると勘違いするのは、心が捻れている証拠です。