何が言いたいかというと、事件は会議室で把握できるものですし、対処もできるということです。
現場に行かなければいけないということでもないのです。
現場でないと出来ないことでもないということです。
この世界は、人の心の持ちようで如何様にも変わります。
人のために尽くしたいと、そばでいたとしても心を変えるまでするのは難しいのです。
絶望している人に手を差し伸べても手を払いのけられます。
手を払いのけられた人は傷付くのです。
傷付かない人がされることなら構わない。
また 現場に出向いたことで、憎しみを持つ人を増やしてしまうかもしれない。
憎しみが復興の手助けをする場合もあります。
そのような方がまだまだ、多いです。
わたしは憎しみの中では息ができなくなります。
だから、会議室でないと意識を向けることができないのです。
これが わたしの特性です。
だけど わたしと同じような特性を持ちながら、現場に出向いて身体を悪くされる方もいらっしゃいます。
だから、わたしはあえて書かせていただいております。
自分の居る場所で事件を知っても 想いはあっても現場に行けない人もいるということです。
想いがないわけではないのです。
現場に行かないから、想いがないわけではないのです。
離れていても、惨状がありありとわかり動きが取れない人もいるのです。
まあ、このような特異体質は稀かもしれませんが あるのです。
現場に行くから誇らしいものでもない。
現場に行くなら、自分の力を最大限に出し切ることです。
どのような場合でも 自分の力を知り、最大限に発揮することが美しい姿だとわたしは考えています。
だから、自分を知ることが大切です。
生半可な想いで生きているんじゃないんのです。
現場を見なくても すべてがわかることがどれほどのことなのか、わからない人にはわからないことなのです。
だから、わたしのテリトリーは会議室だけで良いのです。
現場に行かなければいけないということでもないのです。
現場でないと出来ないことでもないということです。
この世界は、人の心の持ちようで如何様にも変わります。
人のために尽くしたいと、そばでいたとしても心を変えるまでするのは難しいのです。
絶望している人に手を差し伸べても手を払いのけられます。
手を払いのけられた人は傷付くのです。
傷付かない人がされることなら構わない。
また 現場に出向いたことで、憎しみを持つ人を増やしてしまうかもしれない。
憎しみが復興の手助けをする場合もあります。
そのような方がまだまだ、多いです。
わたしは憎しみの中では息ができなくなります。
だから、会議室でないと意識を向けることができないのです。
これが わたしの特性です。
だけど わたしと同じような特性を持ちながら、現場に出向いて身体を悪くされる方もいらっしゃいます。
だから、わたしはあえて書かせていただいております。
自分の居る場所で事件を知っても 想いはあっても現場に行けない人もいるということです。
想いがないわけではないのです。
現場に行かないから、想いがないわけではないのです。
離れていても、惨状がありありとわかり動きが取れない人もいるのです。
まあ、このような特異体質は稀かもしれませんが あるのです。
現場に行くから誇らしいものでもない。
現場に行くなら、自分の力を最大限に出し切ることです。
どのような場合でも 自分の力を知り、最大限に発揮することが美しい姿だとわたしは考えています。
だから、自分を知ることが大切です。
生半可な想いで生きているんじゃないんのです。
現場を見なくても すべてがわかることがどれほどのことなのか、わからない人にはわからないことなのです。
だから、わたしのテリトリーは会議室だけで良いのです。