物事の道理がわからない人から見ると、道理がわかって生きている人は 怖い人とか威張っているとか上から目線に見えるらしい。


守られることの本質がわからないから、守られることが何であるかがわからない。


守られていることがわからないから恐怖を感じるようです。


物事の道理をわかって歩む人はそのような人を許していくことを求められます。


わからないならわからないなりに、切磋琢磨して学んで成長していく人もいれば、学ぶことをやめて気ままに生きていく人もいます。


成長したいと思う者には教え、気ままに生きていく者には許しを求められるのです。



物事の道理がわかっている人からすると 物事の道理がわからない人は、わからないながらも守られているから幸せだと感じます。

なぜなら、受け入れ、許すことを求められないし、責任感を求められないし、自分勝手に自由きままに生きても許されるから。



どちらが良いのかわからないけれど 物事の道理がわかって生きている人の気持ちはわからない人は一生わからないだろう。

守ることがどれほどの責任感を要するかなんて微塵もわからないのだと感じます。



良い世の中だね。