人として生きるということは、時間の世界に身を置くことだと 以前、書きました。


癒し、癒される というのは、人的観点から考えると、時間がかかるものですが 魂的観点から考えると、すでに癒されてる状態なのです。


だから、人的観点から考えることは どんなことでも時間がかかるのですが、魂的観点から考えると、すでにあるものなのです。


これは 見方なのです。


自分をどの角度から見ているか だけなのです。



また、人というのは 自分を見ずに、自分から世界を見ようとするクセがあります。


自分から外側を見ようとします。


自分の外側は時間の世界です。


また 自分の外側から自分を見ている場合もあります。


どちらも 意識が自分の外側に向いているため、時間にとらわれてしまいます。


本来の意識の持ち方としては、自分が自分の内側を見て生きていくことが望ましいです。



自分が自分を見ている様が外側に映し出されるだけなのですから。



しかし、人というのは 外側の世界で何かを成し遂げたいと生まれてきます。


そのため 自分の外側につい、目が行ってしまうものです。




生きる目的を達成するためには、自分の内側に起こることや有ることを外側に発信することが必要なようです。


だから、結局 内側ばかりを見ているだけでは、創造していけないね。。。



だけど 自分というものは、いろんな自分が存在します。


顕在意識が一番、外側の自分で、順に内側にいるものです。



顕在意識から順に、内側にいる自分にアクセスしていくとわかるのですが ある自分に意識が到達できると、一切 外側を見なくても良くなるのです。



内側にいながら、外側を操ることができるのです。


それは、それで楽しいことですが ストレスがなさすぎてつまらないです。



人として、ままならない想いを感じたり、伝えることは出来ないからです。



人として生まれた以上は、ままならない想いを感じたり伝えたりしたいと思うのです。

それが 肉体を持っている醍醐味だと思えるのです。