どのような生き方をしても自分次第
なんだなあ〜 と実感しています。



地に足をどっしりつけて歩もうが浮き足だって歩もうが、自分の選択した人生なら誰も文句は言わないのです。


自分が決めてきた人生から外れたり、忘れたりすると 違うよ〜 とお試しが降ってきたりするけれど その都度、反省して 本当の自分を思い出せば どのような生き方をしても間違いはないのです。



まずは、本当の自分(神聖)を思い出すことと反省できる自分になることです。



それがスタート地点です。




わたしが書いている記事を読まれてコメントをされても その内容がわたしが理解できない場合が多々あるので、メインブログはコメント欄を閉じています。



人というのは、ひとつの物事に対して、様々な意見を持つものです。


しかし、穿った物の見方をされる場合は、わたしは理解不能に陥ります。

対象物はまっすぐ見ないと理解はできないですよ。


まずは、まっすぐ物を見ることができるようになることが先決です。



本当の自分(神聖)を思い出すよりも 自分の行いを反省して、物事をまっすぐ見ることができるようになってください。



まだまだ 人類は、穿った物の見方をされる方が多いですから。



わたしが声をかけられないのは、そのような理由からです。



情報というのは、このように誰もが取り出せて見れるようになっていますが、穿った物の見方をされる方は、どのような情報を得ても同じだと思います。


情報を得ることに一生懸命になるのではなくて、その穿った物の見方を直してください。



そうでないと いくら良い情報を得ても、変わりはないです。


スピリチュアルな情報に翻弄されているだけで終わってしまいます。




物事には段階があるのです。



幼稚園児が大学で学ぶような書物を読んでも理解できないです。


自分には難しくて理解できないなら、まだ良いですが 部分的にわかるところだけピックアップして取り入れたところで 自身を翻弄させるだけで良薬が毒に変わってしまいます。


気をつけましょう。