昨日は、あるお寺にお邪魔して、住職の奥さまと延々お話しをしてきました。


とても楽しかったです。

その話の中で とても辛い体験を聞かされました。

それは、定期的にお詣りにきていた人がだんだんこなくなって、最後には病気で亡くなった というものでした。

それまでも いろいろ悩みを打ち明けられて相談に乗っていたのに、結果 救うことができなかった 想いが伝わってきて、わたしまで辛くなりました。


それって ホント、内々の話で 最後には、忘れてね と言われましたが、 溜まっていた想いを吐き出すことができて少しは楽になったのかな?


話を聞いている途中で、わたしならこうする!と思うようなことがたくさんあって、お与えってあるのかなあ と思いました。


また それ以上、その人に関わっていけないと思ってしまうのかなあ


人にはお与えがあって、できることできないことあって、
自分の責任の範疇なら動けるけど自分が責任の持てないことはやらないしできないです。


できないことは辛いし、自分の能力の低さを恨めしく思ってしまうのかもしれません。


救えない命があることが悔しい。。。


その想いが伝わってきました。



救えてしまう、出来てしまうから つい、手を出し過ぎてしまうけれど それによって自分の身に何かがあってはいけません。

わたしは出来てしまうことが多いから つい、自信過剰になりがちだけど 普通、人は 出来ないことを苦しく想い辛くなるのですね。。。



実際 わたしも手を出し過ぎてしまう傾向がありますが これからの課題となりそうです。



能力的に低い者は出来ないことを苦しく想い
能力的に高い者は手を出し過ぎることを悔やむものかもしれません。





それを聞いたすぐは、違うことを考えていました。


役割は同じだけどアクションが違う。。。



ある人はお客さん相手にヒーリングしたりお話会したり歌を歌ったりして、心を癒して、感謝されて、お代をいただく。



一方、わたしはお金をかけて現地まで出向き、愚痴を聞き、発散させて、『なんか知らんけど、しゃべってまったわ。内緒にしといてね。』と言われる。


相手を癒しているには違いないのに 理不尽さを感じてしまうと。




こうやって思うと、能力が高いから お代をいただかなくても出来てしまうし、自分から持ち出ししても癒せてしまうのですね。


そこに理不尽さを感じる必要はなかったのだなあ 。。。



お与え



誰にでも、お与えはあるものです。



幸せはあるのです。



謙虚に生きなきゃです。