人間はとことんまで落ちないとわからないのかもしれないと 最近、特に想う。


わたしは先のことがわかってしまうから、手をさしのべてしまうけど、人は落ちたいのかな、と想う。

落ちてみたいのかな?


落ちてみないと、わからないことってあるもんね。



いくら、人から指摘されてもやめられないけど 腑に落ちてみなけりゃわからないこともたくさんあるわ。


空ちゃんは 人の言葉で助けられた、ということを書いていたけれど 人によると思うわ。





わたしは魂からの要請があると、動かされてしまうけど そうじゃない場合はこれからは、ほかっておこうかな。


結局、甘えてるのよ。


誰かが助けてくれるって思ってるの。




誰かが助けてくれる場合は 人間的に思いやりがある人の場合だと思う。


愚痴って人のせいにして生きている人って人間がギスギスしている。


そういう人には神様は手をさしのべないし人も見捨てるわ。



一生懸命に生きればいいってものではなくて、人に対しての思いやりやちょっとした気づかいのない人には神様は見向きもしない。


自分のことしか考えていない。


自分の得になることしか考えていない。


まずは、自分を満たすことからだけど だんだんがあるわ。



ちょっとした気づかいって大切だな。


笑顔でいることや人に親切にすることが身に付いていない人は、人間がギスギスしている。


日々の心がけでありしつけだな。


暗い顔していたら幸せは遠退いていく。



そこに気づかない人たち。。。。

それもわからず、スピリチュアルにはまってるってあり得ない。



これって 基本的なことだから、いちいち書かないけど 大切なんだよ。



ちょっとした思いやりと気づかい。




それさえできていれば、人生はうまく回ることを人は知らない。



瞑想すると まずは、そういうことに気付くのよね〜


だから、瞑想をするとよいと言われるの。



瞑想して心を落ち着けたり神社に行くと まずはそういうことに気付かされるんだよなあ〜



最近の人は いちいち人に対して指摘しないから、代わりに瞑想を勧められるのです。



まあ いくら瞑想、神社に行っても 思いやりや気づかいのない人もいるけど、、、



結局は 人間的な思いやりや優しさは必要ですね。