金銭的物質的な豊かさのない人はお金持ちを羨むというよりも違う面で勝ちたいと思うのだろう。


お勉強で勝ちたい、容姿で勝ちたい、精神性で勝ちたい、等 違う面で有利に立ちたいと思うのかもしれない。

また そのような方は、自分と正反対の人を見ると やたらと攻撃したり、攻撃できないときは、お金持ちでも〇〇〇はできないんだね と小バカにする傾向があります。


結局は 物質的金銭的に豊かさのある人を裁く気持ちがあるから豊かさから遠のくのだと思うのです。

金銭的物質的豊かさを求めている人はとても多いです。


人と会話していてもブログを読んでいても、多いです。



精神性を高めていても、この気持ちのある人は物質的金銭的に豊かにはなれないものです。



「貧しいながらも幸せです」とか「貧乏人のひがみですが」と言葉を出すこと自体が裁いている証拠で、自分はわかっていないのです。


なぜ、わたしがこんなことを書いてるかと言ったら 自分を知ることが豊かになる一歩だから。


結局、物質的金銭的に貧しい人は 裁く気持ちや本当の自分を知ろうとしないから豊かになれないのです。




精神的にも金銭的にも豊豊かになると、人に対して寛容になります。


また、人に対しての寛容さが身に付いている人はより豊かになっていくのです。


貧しさを経験している人は反骨精神があり、ど根性はあるかもしれませんが、人に対しての寛容さはなかなか望めないですね。


なぜなら 寛容さのある人は 自分が人よりもできないことがあったり物質的金銭的に低くてもそれを受け入れ納得しているからです。


そして、少しでも人の優位に立ちたいと思う人を見かけると その人の思う通りにさせて、その人が気づくまで待つことができるのです。