人の気持ちがわからないのは、人に尽くしたことがないから 人に与えたことがないから ではないでしょうか?



自分が人に対して 何かをして差し上げたり 人の尽くしたことがあるならば 想いがあるはずです。



想いが感謝というものだと思います。



ありがとうという想いがあるなら、肉体を使って伝えることができるはずです。


魂だけならまだしも、肉体があるのですから抱きしめたり駆け寄ったりキスしたり言葉を駆使したりできるはずです。



わたしたちは肉体をまとって生まれてきています。



わたしはそうするために生まれてきたと思っています。



魂のままだと、愛する人を抱きしめられないもの。


お世話になってもありがとうと言葉を発することもできない。。。


伝わらない、もどかしい。



わたしたちを守っていてくださる神様仏様は、きっとそう感じているのだろうと思います。



テレパシーだけでは片手落ちで 気づきを与えることはできるかもしれないけれど ふれ合うことはできないね。



神様仏様の気持ちを考えてみると どう生きたらよいのかわかると思います。




愛されているなら、その想いにどう報いますか?

守られているなら、その想いにどう報いますか?