元来、善と悪、愛というものは 自分の心の中に存在するもので 外側にはないものなんです。



対象となる物を見て、善と悪、愛を判断するのは自分の心なのです。



外側に目に見える物や目の前で起こる出来事自体は、良いも悪いもないのです。



それに気づくことが『悟る』ということだと思います。



『悟る』って きれいなことではないのです。

何故なら、自分が悪だと勘違いしていたことに気づかされるわけですから。


勘違いしていたことに気づくって、冷や汗出ちゃうことですし、赤面ものです。


そこに気づきたくないから、自我が抵抗するのです。


でも、内側にいる神様はそんな自分を許してくれるのです。


だから、感謝が溢れるのです。


ありがたいなあって感じるわけです。


そして、もう二度と勘違いしないと誓うわけです。


それが『反省する』ということなのです。

自分の過ちに気付かないと反省はできないというわけです。

しかし 許されると、気持ちが楽になり安心して、また 同じ勘違いをしてしまいます。

繰り返してしまうのです。

何回か繰り返して、それでも許されていく。。。

すると、何回かの気づきの中で また違う気づきが生まれます。


それは、自分という存在は、純粋そのものなんだ、、、という気付きです。


内側に居る神様が何故、許してくれるかといったら、自分が純粋そのものだからなのです。


勘違いをしてしまっても 気づいたら、すぐに悔い改めることができるのは、純粋(素直)だからなのです。



自分は純粋そのものなんだと気づくと同時に、内側に居る神様は自分自身だと気づきます。


内側に居る神様=本当の自分は、どれだけ自分が勘違いをしようと許すのです。

計り知れないほどの愛があるなあ と感じるのです。


そして それが自分自身、本当の自分の姿なんだと気づくのです。



本当の自分って内側に居て自分を許してくれる自分なんです。


どんな過ちを犯しても許してしまう度量があることがわかり、それが自分そのものなんだとわかるのです。


どんなものでも受け入れ許すことができるんだなあ と心底わかるのです。

自分が今まで恐怖心を抱いていたものさえも受け入れ許すことができるんだなあってわかるのです。


それが『恐怖心を手放す』ということなのです。


『怖れるものは何もない』と感じるのです。


そして この世界には愛と呼べるものしか存在しないことがわかるのです。


わたしのブログタイトル『この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する』は、この気持ちからつけました。



愛しかない、感謝しかないと、気づくのです。


これが、『目覚める』ということです。


しかし、人というのは繰り返す生き物です。


またまた、勘違いをして恐れを抱くこともありますが、 一度 恐怖心がなくなり、本当の自分は何をも受け入れ許すことができることを思い出すと 恐れなく、歩みを進めることができるようになるものです。



怖いものはない、何一つ存在しない

生まれてくる前のわたしたちはそんな想いで居たのです。



思い出すだけなのです。



わたしは愛。

純粋な光。


皆がみな、愛であり純粋な光なのです。



思い出しましょう。


一緒に思い出していきましょう。



わたしが先導します。


ついてきてくださいね。


ままのまま