生を受けるということは、生きるということ。


古代の人たちは 早くに命を落とすことが多く、死ぬことに恐怖を抱いていた。


死ぬこと、離れること、別れ。


その恐怖から、様々な知恵が生まれた。



そして、自然と、天気を司る存在に敬意を払い、命の恵みに感謝するようになっていった。


しかし、命との別れとは縁が切れずに 辛い想いを強いられた。


死にたくない。
離れたくない。
別れたくない。

それは、愛する者と永遠の別れを意味するんだ。


だから、永遠の命が欲しいし、命を呪った。


欲しいものは命。

そこで、執着が生まれた。


生を受けて、さまざまな感情が生まれる。


それを残したいと考えた。

次、生まれてきた時にわかるように。




古代の人たちは、命を敬い、命に感謝し、命を呪って生きていた。


お祭りや残された壁画や土器はそれを想いとともに残している。


また 信仰も同じだ。


長生き、永遠の別れによる痛みから逃れたいがために、あらゆるものを信じ、そして 排除していった。



そうやって 古代の人たちは 命と向き合って生きてきたのだ。



しかし 現代人はというと、そこには目もくれず、遊びほうけている。


命を大切にしない人が増えた。


それは、長い転生の末、命を守るという想いが薄れてきたからだ。


執着があるうちは まだ、いい。


痛みを感じないように、ハートを閉じるようになった。


そのため 生きる意味さえわからなくなっていったのだ。



わたしたちは どこから来て、何を目指しているのだろう。。。


生きる意味もわからぬまま、生まれてくる魂が多い。


魂そのものが行き場を失っているのが現代だ。


それを、自身にわからせるために 地球ではあえて、別れを体験させる取り組みが成されている。



別れ、辛い別れ。


それを あえて、体験することで 自分の命の尊さを知ることになり、自分は命そのものだと気づくことになる。



わたしたちの源の命は祈りを込めて願っている。

自分が命だと気づくように。


源から分かれた命だと気づくように。


そして ただ、戻るだけだと気づくように。。。


気づいたら、源との約束を思い出すでしょう。



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NHK Eテレで放映された『日曜美術館 特別編 「◯△□の伝言〜井浦新“にっぽん”美の旅4〜』

FBで繋がらせていただいています雲龍様からこちらの番組内で雲龍様の笛の音の「CD遮那」を使って頂いていると教えていただき、さっそく観せていただきました。
そして、なんとなく浮かんだので、書き留めました。


だいぶ、はしょって書いたけれど、古代の人たち 縄文の人たちは こんな想いで生きていたのかなあと感じました。


今、その時の想いを思い出すことを叫ばれていますが、それよりももっと 遥か宇宙の頃、源と繋がっていた頃を思い出すほうが より思い出しやすいように思います。

雲龍さんの笛の音は、それを呼び覚ましてくださる音だと感じました。


宇宙にいた頃を思い出し、源とのやくそくを思い出す音です。



わたしの雲龍さんの笛を聴いた感想がこちらです。


宇宙風、わたしがまだ 風と呼ばれる存在だったことを思い出しました。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


わたしがかつて風と呼ばれる意識の頃、 出会った同じ存在。。



ノドを鳴らし、オトを奏でる。

木々をすり抜け、葉を揺らす。

光という衣をまとって色をつくりあげる。

わたしという風の色と混ざりあい造り上げる。


それがオト。


渦を巻き上げ、それぞれの風となり、オトを奏でる。



ふれ合った時のオト、離れた時のオト、溶け合った時のオト、惹かれ合った時のオト。




オトを奏でながら、わたしたちは

揺らぐ。

震える。

はしゃぐ。

抱き合う。。。




離れても、思い出すことを約束して 舞い上がる。