最近 感じるのは、 

世の中には、 はたからみたら幸せなのになぜか自分を哀れんで不幸を感じている人がたくさんいるなあってこと。 



心底苦しんでいる人からみたら幸せだよなあ と思う。 


不幸遊びをしたいみたいだ。 


それに付き合わされるのは嫌だと感じるわたしがいる。 




結局 人というのは、崖っぷちから落ちて痛い想いをしないとわからないのだと思う。 



昨日も 人と話をして 彼は、「最終的には感謝だ。周りに助けられてるって思うんだ。」と言っていたけど、わたしは違うと思うと答えた。 


なぜなら わたしが最終的には、「自分」と思うから。 



わたしは最近、崖っぷちから落ちて身ぐるみはがされた。 


残ったものは、自分の骨だけ。 


自分という軸だけになったんだ。 



今までの信用や築き上げてきたものすべてぶっ壊れた。 


で、残ったものは「自分という軸」。 


尊厳というものかもしれない。 


プライドだけで生きていけるか?と言われるよ。 

頭を下げて反省だろ!感謝だろ!と言われるよ。 

でも わたしは、「わたしには反省する心がない。 わたしは悪くない。わたしは自分をこれ以上傷つけたくない」と返した。 


人には多大な迷惑をかけたし、見た目には逃げたのだけど わたしは悪くない。 


なぜなら わたしの尊厳を保つためにしたことだからだ。 


だから、離れた。 それだけ。


自分が壊れることはしない。 

自分を殺すことはしない。 

自分が大切だから。 


人が泣こうがわめこうが関係ない。 

わたしはわたしの尊厳が傷つけられたら持ち場から離れる主義なんだ。 



感謝? 誰に感謝? 

感謝をするとしたら自分の内側の神様に感謝だ。 

わたしを守ってくれる、内側の神様に感謝だ。 



だけど いちいち、自分に感謝感謝とは言わない。 
だって 繋がっているから。 
言わなくてもわかるもんだ。 



それよりも 自分という存在を肯定していればいいと思う。 



自分をすべて肯定していたら 内側の神様は、運を運んでくれる。 

なぜなら、わたしと内側の神様との間には、感謝を越えた信頼や絆で結ばれているからだ。 


それさえあれば、怖くないんだ。 


内側の神様を信じて歩むだけだ。 



内側の神様との絆を思い出すだけだ。




これがわたし♪


まあ、こうならないと 人は守れない。