わたしは自己主張が強いせいか、お世話になった人に後ろ足で砂をかけるようなことをして、恥をかくことをたくさんしてきたんだ。 


みんな、黙っている。 


気づくまで待ってるのか知らないけど、教えてくれなかったよ。 


教えてくれなかったから幾度となく繰り返した。  


わたしは教えてもらいたかったんだ。 


その時、恥をかいても教えてもらいたかった。 



後々になって気づいたわけだけど 気づくまで待っていてくれたのか笑って教えてくれなかったのかはわからない。 


だから わたしはその場で指摘して教えるんだ。 



わたしに公衆の面前で恥をかかされた、と言われる方はけっこういると思う。 


だけど それだから、気づけるんだ。 


恥をかくから気づける。 

恥をかかなかったら繰り返す。 


教える行為は相手の学びを取る行為だと言う人もいるけれど、わたしはそうは思わない。 


教えなきゃできないことってあるし、その発想がわかないこともあるしね。 




また 先記事で書いたことに関連することで 

周りの家族から、わたしがこれをしてやった 俺がこうこうしてやったとよく聞いて育つと 同じように感謝の押し売りをしてしまうと言われた。 

わたしは、その逆の家族を反面教師として生きてきました。  


それって 相手をバカにすることですよね? 


でも 教えることは相手をバカにすることなのか? 

違うと思う。 


教えないことのほうが相手をバカにすることだと思う。 


相手を見守ると言いながら、心ではバカにしているかもしれない。 




おもいやりってなんだろう。 


相手を想うってなんだろう。 



相手の成長を望むなら早く教えることのほうが相手のためになることではないのかな? 


見守るって ボケっと突っ立って見てることではないんだ。 


いつでも 手を差しのべることのできる位置にいて、目を離さずに見ていることなんだ。 


だから、わたしは 見守る一環で、教えるんだ。 

直接、教えるんだ。 



気づくまで辛抱強く待つことも大切かもしれないけれど 教えなきゃわからないこともある。 


一度、教えたら それからは、手は出さない。 


待つ。 


辛抱強く待つ。 



大切な人だから、大切にしたいのです。