恐怖心 
裁く人というのは、人に恐怖心を植え付けるのが得意なようだ。 


裁かれる恐怖というものがある。 



その恐怖はいったいどこから来ているのだろうか。 



それは、人の内にある自信のなさが生み出しているのです。 


何故、自信がないかといったら 人生で100%の自分の力を発揮して生きていないからなのです。 


それは、今の自分にOKを出していないから。 


何故、自分の人生にOKが出せないかといったら 細部に辺り、曖昧で優柔不断で開けたら閉めるという作業や閉めたかどうかの確認作業や検証することを怠っているからなのです。 

最善を尽くしていないのです。


自分が感じる不安を100%払拭していないことも考えられます。 


自分が自分の行動に100%、OKを出せるまで 取り組んでいないからなのです。 


そのためには、計画性や人の意見を聞く耳を持つことが必要で、他者を信じたり頼ることも必要なのです。 



自分に自信を持つということは、ひとつの物事を完成させることでもあるのです。 


ひとつの物事を完成させるためには、自分だけの意見に固執していては到底、つくりあげることができないものです。 


だから、周りの意見を聞き、良いと思ったことはすぐに行動して、今までの言動を改め前を進みながら、最善を尽くしていくのです。 


自分が最善を尽くした結果が自信に繋がるのです。 


根拠のないものではないのです。 


根拠があるから、胸を張れるのかもしれません。 




わたしでも やはり、最善を尽くしていない時は、モヤモヤとした気持ちになります。 

何かが足りないと感じると、それを探すのに躍起になり、他のことは手につかなくなります。 

それがわかり、対処して、事なきを得ると安心に包まれます。 


これで、間違いない!と確信できるものなのです。 

その繰り返しです。


だから、モヤモヤとする気持ちは 何かを見落としていますよ、というサインだから、悪いものではないのですよ。   



見落としていることをわかっていながらも改善しないというのは、自分を信じ過ぎてることでもありますね。 


他者の意見を聞き入れられないのですから。 


自分の固執した考えだけで生きてきた人は、それを曲げられないのかもしれません。 


それは、置いておいて まずは、


自信を持つということは、最善を尽くす結果で得られるのだと言うことです。 


そして それが恐怖心を越えものになるのです。