感謝というのは厄介である。 

人によっては、感謝の意味の受け取り方が違うから。 

人それぞれの感謝の意味がある。 




『感謝が大事だよ』 

と言われたとする。 


何に感謝するの? 

感謝の強要ですか?


わたしは、そう捉えてしまうほど 感謝という言葉には敏感です。 


感謝って自分自身の内からわいてくるものだから、人から強要されることではないと考えています。 




自分の内側から感謝がわき上がるようなココロモチで常に生きていれば良いだけでしょ。 


自ら、『ありがとう』 と言葉を発することや感じることや 人から『ありがとう』と言われることは まあ、素直に受け取れます。 

感謝の心が感じられるからです。
こちらも温かい心に満たされます。 

まあ、と書いたのは 心が伝わってくるので、わざわざ言葉に出さなくてもいいよ、という意味です。 
わたしとしては当たり前のことだから わざわざ必要ないです。 




しかし、感謝を「今のあなたが居るのは誰のお陰ですか?わたしにに感謝をしなさい」という意味で相手に使われる方がいらっしゃいます。感謝の強要ですね。 


有難うございますという言葉は、本来なら有ることが難しいものが「有る」ということを示されていて、「有る」ことが難しいのだから、頭を下げて 頭の上に献上していただきましょう という意味なのです。労い、敬いが込められています。
だから、有難うございます と頭を下げるのです。 


ということは、感謝の強要というのは、有ることが難しい存在は感謝を強要している本人を指すことになります。


自らが有ることが難しい存在だと示しているのです。

労い敬われなければならないと自らが発しているのです。



わたしにはそんな発想がないので、
固まってしまいます。 



頂戴するものは、何人かの手によってつくられたりするため、労い敬う心で有難うございますと頭を下げるのはわかります。 


労う心や敬う心も自らの心からわき上がる心です。 


それを自らが強要するという発想がわたしには理解不能です。 



わたしがぴっとかぺってエネルギーを動かす行為は無意識に簡単にやってしまうので 難しいことではないから、有難うございますと頭を下げられることがこそばゆいのです。 


だから 感謝の強要をされる方は、自分にとってとても難しいことをやって捧げているのだから、相手から労いや敬われたいということです。 


確かに、「有ること」は難しいことかもしれませんが 相手にそれをわざわざ強要しなくてはいけないココロモチというのがわたしには理解ができないです。 


いつも無理している、ということなのです。 


何かを犠牲にしているから そんな発想になるのかもしれませんね。 




感謝というのは 様々な立場で使い方が違うということですね。