誰もが尊重されたい。 


だったら、弱者と呼ばれる人の味方をしても良いと思う。 


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人は対等だと言うけれどそれは魂の話しで 男女の違いや身体面に年齢など様々な違いを持ってこの世界で生かせていただいている。 


この人は弱い人とどんな基準で決めるのかは定かではないけど、明らかに弱いと定められる人がいて、そのような人は法的に守られている。 


しかし その法的に守られていることを武器にして振る舞う人もいるけれど  どこから見ても、守らなければならない人自体いるのです。 



その認識が甘くなっているなあ、と感じます。




身体が自分の思うように動かせなかったり、明らかに介助が必要な人でもお口が達者だと人からそのように思われない。 


文句が槍のように出てくる人がいる。 


それは、自分の思うようにいかないことがあったり人が思い通りに動かないせいもある。 


確かに、自分の物差しで人を判断することは違うことかもしれないが、自分の身体を自分が動かせない身である場合は譲歩してもいいと思うな。 



幸せと感じることは人それぞれ違うもの。 



誰もが尊重されたいし誰もが幸せを感じていたい。 



だったら、隣に居る身体を不自由にしている人の槍を持った小さな願いを叶えてあげようと思う心は持ってもよいのだと思う。 


槍があったとしても願いに大きいも小さいもないと思う。 


誰から見ても明らかに身体が弱かったり不自由な人の明らかに小さな願いを叶えてあげようと思わない行為は、愛じゃない。 


優しくない。 


槍のある言葉でさえも包んであげられたなら、その槍の先はすぐに丸まるものなんだ。。。 



誰もが尊重されたいし優しくされたいんだ。