先の記事『自立と恩に報いること』を投稿した後、一件のメールが届きました。
『ブログに書いていただいたのは、私のことですね。
正直な自分はやはりわがままで上から目線でしたが、そこから、恩へ報いるということが、何の恩に対して報いるのか、それに恩に報いろうと思える心持がなくて、何をしたらいいのかが、わかりません。』
今回、その気づきがなかったことで自分を責めているようにみえますが、それこそ 自分勝手で横柄な態度が鼻につきます。
『わかりません』という言葉は自分勝手な言葉です。
まずは気づきをいただけなかったことを素直に認めて詫びる気持ちを神様仏様に届けることです。
その気持ちが届けば、神様仏様は まずは見てくださいます。
日々の生活を観ていてくださいます。
『わかりません』というより前に、詫びる気持ちがない。
神様仏様に対しても自分に対しても。
素直さがないというのは、このようなことを言います。
自分を責めるのは、自分はできる!と鷹を食ってるからです。
出来ないとわかっていたら、責めることはしないものです。
そんな心持ちの人には、神様仏様からの言葉も届かない。
自分のことを言われているとわかった時点で申し訳ないと素直に詫びる気持ちが大切なのです。
自分を責めるのではなくて神様に詫びるのです。
一日の締めくくりに、「今日の一日はどうですか?いたらないところはないでしょうか?あったら教えてください。直します。」という謙虚な気持ちで過ごすことですね。
謙虚な気持ちで過ごすことが心を育てるのです。
そうしたら 自分がどれほど、ごう慢であったかに気づき、申し訳なさで頭が下がり、素直に詫びる言葉が自然と口から溢れるのです。
わたしはそうやって、日々を過ごしています。