昨日、ある方に、「あなたはどんな人になりたいの?」と聞きました。
すると、「人を支えられる縁の下の力持ちみたいな人になりたい」 と言われました。
縁の下の力持ちになる人というのは、人口の7%にその素質があるそうです。
周囲の人が作り出す矛盾を引き受けそれを甘んじて受け、不平を言わずに生きていける素質です。
そのような方は周囲の理解は得られず、ひたすら苦労して生きていくようです。
昔はそれを認める社会でしたが、今は世の中が大変低次元になってしまったので、それを認める社会ではなくなりました。
結果、素質がある人は自分の素質を伸ばせずに苦しんでいます。
わたしに集まる人はそのような方が多いです。
縁の下の力持ちとは将来、長になるべき人です。
少数派とも言えます。
わたしは自己紹介で「他人の矛盾を一人で引き受け、苦労してきました。 また 一人で忍耐してそれを恨みに思わない生き方です。」と書きましたが、同じだなあと思います。
わたしたちは生まれる前に青写真を書いて生まれてきていますが絶対にそうなるということでもなく、そうなる素質を持って生まれてきているということなのでしょう。
素質があるからこそ、辛くて苦しい現実が起こるのです。
素質があるから、相手を許したり受け入れる現実を作り出すのですが、相手を許すかどうかは自分の努力次第、相手を受け入れるかどうかも自分次第。
生まれ持った素質をどう生かすかは、自分次第で努力次第です。
努力なければ、魂が望んでいても、そうはならないのです。
許したり受け入れることができるには、まずは自分を省みることからです。
いくら素質があったとしても自分を省みることができない人はそう導かれていかないものです。
わたしのライブドアのブログは2000件もの記事がありますがその中の大半が反省について書かれています。
わたしは反省マシーンのように歩んできて、毎日、反省をするために日記を書いてきました。
わたしにとっては、生きること=反省のようです。
日々、反省しながら生きてきて、今があります。
いくら素質があったとしても反省がなく人を許し受け入れる努力のない人は周りにも見受けられます。
同じなのに、同じなのにと寂しく憤りを感じずにはいられません。