日本の中で広島と長崎に原爆を落とされ、被爆民となり、辛い体験を強いられてきた。 


そのため、その中で強い絆も生まれただろう。 

しかし 強い絆が他者への憎しみに変わることもあっただろう。 


そんな憎しみは簡単に癒されることはない。 


故郷を焼かれ、家族を失った痛みや苦しみは、当事者しかわからないもので、復興は果たして経済の発展は遂げたけれど、なかなか癒されるものではない。 



世界において日本という国は、自然を崇拝する国で、受け入れることを善としてきたけれど、被爆民となり、受け入れることを余儀なくされている昨今、苦しみを掘り返されている人も少なくないと思う。 



日本は被爆国ではあるけれど、被爆民は広島と長崎県民であるため、その中でも差別やいじめはあっただろう。 


戦争が終わって、早や75年が経とうとしていて、戦争の辛さが風化されてもいる中で まだまだ憎しみや痛みを持って苦しんでいる人もいるわけで、それを思ったら、簡単に 受け入れましょうとか許しましょうとは言えなくて、忘れないためには、祈り続けることしかできないものです。


祈り続けるとは、亡くなった方々に慰霊することだけではなくて、忘れずにいること。 


片時も忘れずに生活をすること。  


それが日本人としての供養ではないかなあとわたしは感じています。 




わたしは、日々の生活の中で、させていただいていることがありますが、それは哀悼の意味があることに気づきました。 


お弔いです。 



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憎しみ、争うという精神は、人を負かしたい気持ちで勝ちたい気持ちではないと、昨日読んだ本で知りました。 


そのため、どちらもが自滅するそうです。 


破壊です。 


自分が死んでも良いから相手を殺したいという気持ち。 


これが戦争に繋がります。 



最近のニュースを観ていると、特にそのような傾向が強いと感じます。 




また、世間を観ていると、共有するという精神がないように感じます。 


だから 自分本意で、公共施設が使えないのだなあとも感じます。 



日本人は、元は 自然を崇拝する民族ですが、日本人の中で力を合わせることよりも争うことが多すぎて、個人主義になり、共有という精神をなくしました。 


それが 自然の恵みの有り難さがわからないことに繋がることだと感じます。





苦しみから逃れられないから、他者を巻き込んで一緒に破滅していく。


自分だけでも助かりたいという気持ちすらなく他者を巻き込んで一緒に破滅する。 


そう望んでいる人が増えてるように感じます。 


だから、共有するという気持ちはサラサラ持ち得ないのです。 


物騒な世の中になりました。 



と、それは 地球の底辺の次元ですので、そこに意識は向けない生活を心掛けてください。


そういう世界が、あるんだなあ〜とだけ思っていれば良くて関わらないことです。 


色々なお試しがあるものです。 



注意して過ごしましょう。