人生のあらゆるシーンにおいて応用力が必要だとわたしは感じています。 

しかし ほとんどの方はそれをわかっていないように思います。 




わたしが何か相談されたら 大概、本やブログ記事を紹介します。 


そこに抜け出すためのヒントが書かれているからです。 


しかし 実際は、ヒントを得ることも出来ない人が少なくないです。 


それは、読み取る力がなくてどこにヒントが隠されているかがわからないのです。 




だから わたしはわかりやすく そのままズバリ教えることにしました。 


人生の答えを教えるようなものです。 


教えられた人はそのままズバリ答えを教えられたのだから、その通りにすれば良いだけです。 


だけど やらない。難癖つける。 


腑に落ちないことは出来ないからなのです。 


答えを教えられているにも関わらず、間違っても良いから自分で弾き出した答えで歩みたい、のです。 



だったら わたしを頼らないで欲しいです。 



そういうわたしの心情を無視してきます。 


わたしとしては気分悪くなるような相手とは付き合いたくないわけです。 

しかし 何故か付かず離れずの位置でわたしから離れようとしないです。 


わたしからすると、わたしを便利に使おうとするのだなあと感じるわけですです。 


わたしは便利に使われるほど心を許していません。 


神々に遣われるならわかりますが答えあわせ用に便利に遣われるほど落ちぶれてもいません。 


とまあ、わたしはより気分を害するわけです。 



しかし 彼らは、わたしの気持ちはまったく理解しないのです。 




要は、、本やブログ記事の内容を読み取る力がないのと同じようにわたしの気持ちを読み取ることが出来ないのだなあと覚ったわけです。 




これはメールアドバイスをはじめる前、4、5年前の出来事ですが わたしは無用にも苦しんだ出来事でした。 



人はそれほど、人の気持ちがわかるわけではないということがわかり、がく然としたのを覚えています。 


わたしは家族や仕事でのやり取りや神様とのやり取りを経験しているから出来るようになりましたが、わたしのような情況にないような人は身につかないことなのだろうと思います。 


昔の家庭はお姑さんに仕えることが多かったため出来て当たり前だったことが今は核家族や片親家族のためそのような情況下に置かれないことだから無理ないことかもしれません。 


だから 今の世の中にはたいして必要ないことなのかもしれません。 


人の気持ちを推し量ることや人の立場になって考えて行動することを疎かにしても人間生活それなりに出来ていくものかもしれません。 



わたしにとっては大切なことですが人にとってはさして大切なことではないかもしれないと最近ではそう感じるようにもなりました。 


人は多様化しています。 

それよりも 自分のやりたいことをやり抜く力を持つことの方が大切なことかもしれません。 



今までのわたしは自分の経験してきたことを伝えたい気持ちはありましたがその能力を使って自分をもっと満たそうとは考えてきませんでした。 


なぜなら、わたしは十分、満たされてるから。 


だけど 今回、わたしならもっと自分を満たすことが出来るのに、とお話しをいただきました。 


そのようなサインは2年ほど前から降りてきていましたが避けていました。


それは、家庭の事情からですが。 


しかし 去年、仕事を辞めたのもその準備のためだとわかり、多方面で納得しているわたしがいます。 


ここでわたしはやっと御褒美をいただけるのかもしれません。 

その御褒美を今まで拒絶してきたわたしですが受け取りたいと思います。 


わたしのために遠いところからわざわざ新幹線で来てくださった方がいらっしゃいます。


これっていつもわたしがやってることなので立場が逆なのに〜とも思いますが、何はともあれ、有り難く頂戴したいと存じます。 




ありがとうございます。 


感謝にかえて。 





とまあ、わたしはある方からのお墨付きを戴きました。 

これからも精進していきたいと存じます。 


学ばせていただける環境に感謝です。 


いつもありがとうございます。