昨日のコメントを読ませていただいて 
「内側からの想いに無視出来ない!」という想いは、人に対しての礼儀に通じると感じました。 




わたしは、今まで「感謝して生きる」というテーマで幾つも記事を書いてきていますが、この「内側からの想いに無視出来ない」という想いこそが感謝の根源だと思うからです。 




わたしは礼儀とは「〜しなければならない」ものではなくて、わき上がる想いが形になったに過ぎないと思うのです。 




礼儀正しい方の中でわき上がる想いでされてる方よりも形式的にされてる方の方が多いように思います。 




わたしは人に対してわき上がる想いが出ない場合 は想いが高まるまで待ちます。 

そんな時は何故わき上がらないのだろうと内観します。 

待っている間(要は人を待たせている)に相手から感謝の強要されることもあります^^ 

しかし、嫌な気持ちになりながらでも待ちます。(超自分本意) 

そうして やっと、自分の内側から想いが発動されて、、、、実践させていただくのです。 



見せかけの礼儀は相手に失礼だと思うからです。 


しかし 世間では見せかけの礼儀が求められているように感じます。 


それは、想いは見えないからです。 


心の中で舌を出していても頭を下げればまかり通る人が多いからでしょうね。 


しかし 神様は騙せませんよ。 





わき上がる想いこそが礼儀だと感じるので、そこには謙虚さがつきまとうものだと思います。 



そのため わき上がる想いは自己主張とは思いません。 




見せかけの礼儀をされてる方々がわき上がる想いから発せられる礼儀に変わっていけますように。 

また 今は想いがわき上がらない人にも想いがわき上がるようになりますように。