恐れ多いという意味は、
身分の高い人や目上の人に対し,礼を失するようで申し訳ない。尊くてもったいない気持ちだ。かたじけない。です。 



わたしは常に神様と交流をさせていただいているので、恐れ多いという姿勢を持っています。 


しかし 神様との関係が希薄な方はそう感じることもないでしょう。 


そのため わたしに関わる人に氏神様参拝をお勧めしています。 


それは、心の姿勢を整えるためです。 


明らかに自分よりも身分の高い方への接し方、姿勢を学ぶことは人としての基本だと感じています。


それが素直さ謙虚さを育てることでもあると確信しています。わたしが経験してきているから。 


それが育たないのは、対象が尊いものだと認識できないからかもしれません。 


尊いとは、価値の高い、価値のあるという意味です。 


要は価値そのものが分かっていなければ尊さは認識できないのでしょう。 

だから、自己価値が低いのですし、人を大切にしないのですし物を大切にも出来ないのです。 


突き詰めて考えると、物を大切に使えない人は尊さが認識できないかもしれません。 


だからわたしは、物を大切にすることにも触れるのです。 


乱雑な言葉使いも同じです。 




いくら毎日、神様に手を合わせていても、神様の尊さや物の大切さも人の大切さもわからない人は、日々の生活を見直してみることをしてみてください。 


日々の生活がその人を創るのです。疎かにしないように。 



そうすることで、尊さが芽生えるでしょう。 


神様は尊い存在です。 

そして どなたにも神様を内在しているのです。 






わたしは内に潜む神様の力を感じたことがあります。 
ひと山もふた山も簡単に動かせるほどの力です。 何かあった時にはそれが発動されるのでしょうが、そんな力は使わず生活していきたいと感じています。 


しかし、わたしにとって 寂しいと感じるのは、内在している神様を呼び起こそうとしていることかもしれません。