人は誰しも救われたい。 だから 他宗教を受け入れてきた。 

「救われたい」想いがわかるからこそ他宗教を受け入れてきた先人逹。 

それが日本。



誰かに寄り掛かりたい、慰めてもらいたい、救われたいと何かに依存してしまうのは、それほどまでに辛い経験をしたからではないでしょうか? 



それを自分は選んで生まれてきたなんて知りたいわけではなくて ただただ、気持ちが楽になりたいだけ。。。 



人生で何故、そのようなことが起こるのかをわたしはわかっていても 辛い気持ちはわかります。 


ひとりになり自己と向き合うことが必要だとわかっていてもわたしは寄り添いたいと思う。 


それはわたしが経験してきているからだと思います。 





しかし 今は、悲しみを持たない子供が生まれてきているため、「救われたい」想いがわからない人が増えて、個としての自分を主張する人が増えています。 


悲しみを理解出来なくてもよいから、せめて否定しないで欲しいと願う。 


無宗教が良いことのように言ってる人が少なくない。 


信じるものがあることはいけないことなのか?


心の拠り所があってはいけないのか? 




わたしたちは信じたものを信じた人生を歩むのだ。 




悲しみを知らないことが良いことだとわたしは思わない。 


悲しみを知り乗り越えてこそ深みが出るものだから。 


「救われたい」想いがわからない者は人を思いやる心がないのと同じで、それはAIと同じでAI以上にはなれないだろう。 



今、この地球は過度期で悲しみがわかる人と悲しみがわからない人が共存しています。 



互いを思いやっていけたら良いね。。。 



今は悲しみを理解出来ない人の傍若無人さを悲しみがわかり思いやる心を持った人が許していく世の中なのだなあと感じています。



悲しみを持たない人たちには、そんな辛い想いをしてきた先人たちの歴史があり自身が成り立っていることを知ってほしいです。 





敬う心を忘れずに。