先程は、受け入れようとか歩み寄ろうという概念がないと書きましたが、あることに気づくと思います。
それは、ナイものは推し量れない。
そうです。
受け入れよう歩み寄ろうという相手からの気持ちがわからないのです。
わからないならそれで良いのですがわからないからそこで不安になります。変な動きをされてる?と考えるようです。
わたしの「グラウディング出来ていない直観は妄想だ」はこういうことです。
いくら瞑想しても神様からの想いや歩みよりを感じられないのです。
神様からの想いや歩みよりを感じるためには、人からの歩みよりや受け入れようとする気持ちが理解出来ないことには難しいのかもしれません。
そのためには、自らが歩み寄ることからなのです。
その実践、経験を積むことです。
結婚して子供が出来てみて親の気持ちがわかるとはこういうことなのです。
これが出来て初めて人の気持ちがわかると言えるのです。
エンパスの共感力の高い方やサイキックの能力で人の心を読む力が高い方でもこの歩み寄ろうとする気持ちのない方は正しく受け取れないですね。
スピリチュアルな人と言われる人に多い傾向です。
やはり、自ら歩み寄るという経験を増やすことで気付いていけるでしょうね。
これはいわば、テレパシーを使う上での基本になるものです。