わたしは神様の遣いとして動かせていただいておりますが、わたし自身は神様ではありません。
だけど わたしの口を介して発せられる言葉は、神様の言葉ですし
わたしがさせていただくことは神様の動きです。
だから わたし自身を畏れ多いと感じてほしいと言っているわけではなくて わたしの奥にたいして、そう感じることが出来ないのは心が捻れていることだと申し上げております。
そして わたしはそれぞれの方々と話をさせていただきますが その時には、その方の魂(神様)からの言葉を降ろします。
だから 貴女方は自分の魂と直接、話をしているということになります。
だから 指摘するときは指摘するし誉める時は誉めます。
わたしとままのままさんとの関係と同じだと思ってください。
そんなわたしはまだまだ進化を続けるひとりの人間です。
重い言葉を降ろした時にはわたし自身、体に負担がかかります。
それがわたしの役目ですが、そんなときは眠れなくもなるし苦しくもなる。
平然とやっているわけではありません。
それぞれの方々の魂(神様)にたいしての畏怖心があるから、させていただいております。
自分でも 様々な神が入り込むので自覚できない時もあります。
だけど こういうことのようです。
そして 体の負担を感じるときには自分に戻るので、そのギャップに苦しむのです。それが長く続くときもあり、そんな時は わたしの想いとして 何か書いてしまう時もあります。まだまだだなあと感じています。