この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 実践編

気づきの裏側に潜む観念、2013年の記事です

内観はして気づいたけど、落としこむことできないのと質問メールをいただきました。





『自分は〇〇〇である。』

と気づいたら、(内観)

その心の裏側には 


〇〇〇は悪いことだ。 

〇〇〇でないことは良いことだ。 

〇〇〇をする私は悪い人だ。 

〇〇〇をしない人間は良い人なんだ。 


という気持ちが含まれています。 

ようは 〇〇〇ができるからいいとか悪いとかで自分を判断しているんですよね。 

〇〇〇ができてもできなくても どちらでも構わないんです。 

ジャッジせずに認めていくんです。 


だから 


『私は〇〇〇な人だ。』ということに気づいた場合は 

その裏側の観念 

『〇〇〇は悪いことだ。』 

『〇〇〇でないことは良いことだ。』 

『〇〇〇をする私は悪い人だ。』 

『〇〇〇をしない人は良い人だ。』 



この5つの観念を浄化する必要があります。

観念5段法則



()〜してもらいたい 


(宣言)〜してもらえなくてもよい 


()〜してもらうことは良いことだ 


()〜してもらえないことは悪いことだ 


(脅迫観念)〜してもららわなければならない 




****** 



一応、ここまでですが 


わたしはここに、許せないという観念を入れました。 

(許せない)〜してもらえないのは許せない 




********************** 

《例え》 



わかってもらいたい(

わかってもらえなくても良い(宣言


わかってもらえることは良いことだ(


わかってもらえないことは悪いことだ(


わかってもらわなければいけない(脅迫観念


わかってもらえないのは許せない(許せない観念




以上


3度目?の緊急事態宣言。 

そうやって国民を締め上げて恐怖を煽って、怒りを持たせたり、精神的部分を壊そうとしてる。 


生きていけない、という恐怖を煽っている。 




このやり方は ある一部の人だけが儲かるようにする株価操作だという見方もあるそうです。 


ないところから搾り取り、取れなくなったら面倒見ずにポイ捨て。 

人口削減のため? 

日本という国が生き残っていくためにはそうするしかないのか? 


立ち上がれ、日本人❗といっても 怒りを向けるために立ち上がるのなら、今出来ることを淡々とこなせばいいと思う今日この頃。 



最近 頼まれて選挙のお手伝いをさせていただいていますが 誰かに自分の未来を託す時代はもう違うと思っています。


以前も書きましたが 
自分のことは自分が責任を持って過ごすだけだと思うのです。 


誰にも責任の範疇があり 与えられた仕事をきちんとこなすことで我々は生きていけるようになっているものですが 欲や妬みにより自分の責任を人に押し付けたり人の責任を取ってみたりする。 


そういうことするからバランスもおかしくなります。 


自分の与えられた責任を誰もが真摯に考えて実践するだけです。 

そうして成長すると責任は増えます。当たり前。 

いいじゃないですか。 


責任好きな人(わたし^^)も居るわけですから。 


そうやって生きるためにわたしたちは生まれてきているのです。 


与えられた責任を全うするために生まれてきているのです。 




言ってはアレだけど 
今まで自分の責任を誰かに押し付けて生きてきたり責任の方向性を違えて生きてきた人がコロナの恐怖を受けています。 


責任の方向性を違えてとは、人に認められたいがために人の仕事を取ってでもしている人や自分を大切にしない選択をされてきた方々です。 

人の仕事を取ってでもすることで誰かに認められ、認められたら一生安泰で暮らせるという考え方は間違っているということを伝えています。 

いくら人に認められても 人はあなたの生活は保証してくれない。 

自己満足はいい加減にしな♪ってことです。



もう一度 お伝えします。 
いくらあなたが人に認められても 人はあなたの生活は保証してくれません。 


自分が自分を認めて 自分の内側の神様との意思疎通が出来るようになったら安泰です。責任は増えますがf^_^; 


責任は増えますが、安泰です。 


思い込みを外すこととホウレンソウ

「あなたに任せます」と言われても、口を出されるのはあなたが情報を開示しないから。 


任せられたからといって、何の報告もしないから。 


任せる人は、あなたに任せたのだから、逐一、報告はしてください と暗に言っているのです。 


信頼された、任せられた人は 報告が必須です。 


信頼される条件というのは 簡単なことで 報告、連絡、相談 ができることなのです。 



ビジネスの世界では当たり前と言われている『ホウレンソウ』です。 



結局、信頼されるされないということは ホウレンソウができるかできないかだけなのです。 



どんな場面でもホウレンソウは必要です。 


報告をし合うこと。 連絡をし合うこと。相談し合うこと。 


これがコミニュケーションです。 


何かをしたら、必ず 連絡や報告をします。 

すると、相手が納得します。 


ブログを書くという行為はやりっぱなしの世界です。 

発信のみですから。 

発信したことをどう繋げたかの報告を求められないから気楽ですね。 


不特定多数に向けて発信することは得意だけど 一対一でのやり取りが苦手な方は、ホウレンソウができていないからです。 
そのため、ただ ブログを書いてる人を信頼するのは危険です。 

人を信頼するためには、その人が一対一で どのように人と接しているのかを見ることです。 


そこを隠していたり、プライベートを一切、出さない人は要注意だとわたしは思います。 


良いことばかり書いてる人は信頼できないです。 
また 包み隠さず書いていても家族間が不仲なのはNGです。 


結局は、家族間でのホウレンソウがきちんと出来ているかを見ると、人となりがわかりますね。 


参考になさってくださいね。 



また、カウンセリングとわたしのやってるメールアドバイスの違いはソコです。 


カウンセリングは、わたしが導き出した答えを受け取り どう解釈していただいても やらなくても構わないです。 
強制力はありません。 


だけど メールアドバイスでは強制力があります。 


メールアドバイスを受けている方々はわたしが導き出した答えに対して報告する義務があるのです。

だから、成長が早いのです。 


その報告は、出来ない という報告でも良いのです。 


出来なければ、わたしは違う手を考えます。 


出来ない という報告がない場合は、わたしは報告があるまで待ちます。 


待って、音沙汰がないと わたしから問いかけます。 
その時に、出来ないと言われると なんのためのメールアドバイス?とわたしは問い返します。 


出来ないことは出来ないと言えばいい。 

恥ずかしいことでもないのです。 


結局、成長が遅い人は 出来ないことを隠すのです。 

出来た報告をしたいために隠すのです。 


出来なくてもわたしは怒らないけど 報告しないことを叱ります。 


言うだけ。 
伝えるだけ。 


それで良いのです。 


そこには 出来ないからどうしよう。。。といった感情はいらないのです。 

人からの評価を気にしないことなのです。 



人とのコミニュケーションのポイントはソコです。 


できないも〜ん 
と言って話し合える相手がいるかどうかです。 


言えたら、そこで親(上司)がなんとか考えてくれます。 


そこで罵倒する親(上司)ややらなくてもいいよと甘えさせる親(上司)は論外です。 



うちの娘は、出来ない報告と同時に相談をしてきます。 
相談という名の押し付けでもあります。 ちゃっかりしてます^^ 



出来ました、と報告したい気持ちはわかりますが、それなら努力すべきです。 
気持ちがあるなら努力する。  
気持ちがないなら、出来ないことを報告しなくちゃです。 



それがコミニュケーションを取る上での重要なポイントです。 


そして、そこで出来ないことを怒るような上司には見切りをつけなきゃいけないです。 


正直に伝えたにも関わらず、怒るのは 人間性を疑わなくてはいけません。 

親ならば、出来ないことを叱るのではなくて 報告がないから叱るのだと思います。 


子供からしたら、親に叱られるから と恐怖心を持つかもしれませんが 一度、叱られた内容を思い出してみてください。 


よほどの親でない限り、報告がないことで叱ることがほとんどだと思います。 


親は連絡、報告、相談がないから叱るのではないでしょうか? 



親との関係を見直してみてくださいね。 


ホウレンソウはコミニュケーションを取る上での基本です。



こうして考えてみると 自分自ら怖い人や怖いことを造り上げている人もいるのではないでしょうか? 



そしてそれは、勇気を出すというよりも 思い込みを外すことで越えられることに気づくのではないでしょうか? 



最初から怖いものはなかった、ことに気づくのではないでしょうか? 



人とのコミニュケーションの上で、最低限しなければならない『伝える』ということを疎かにしているから、恐怖心が生まれてしまった。 


伝えることは、人にとって大切なことだと感じています。 



自分の感情を伝えるのではなくて、自分の現状を伝えるのです。 


ありのままの自分を伝えるのです。 



それって難しいことですか? 


難しくさせてるのは、誰ですか? 




必ずしも 自分の役割と仕事を合致させなくても良いと思う。 


進路を決めるにあたり自分の個性特性を重視することは当たり前かもしれないが、そこに固執し過ぎるあまり、合致させなくても良いと思う。 




自分の進路を決めるにあたりやりたいことが見つからないと言われることもあるけれど 『決めること』はそんなに簡単でもない。だけど、難しいものでもない。 


それは、インスピレーションの場合もあるように感じる。 


イヤな気分がしない、という感覚。 


あと、求められることは出来ること。



求められることは、適性があるとも言えます。 



求められることは自分のベースになることだと覚えておくと良いでしょう。 


進路相談を受けた時に参考になさってくださいね。 



まあ
色々、書いたけど やり直しが出来ないことなどないですし、誰しもプライベート部分は必要なのだから、融通性を持つことも頭に入れておいたほうが良いかもしれないね。




いくら責任を求められる仕事でもプライベートや家庭で求められることがあったらそちらを優先出来るような世の中ですので。 




だから 予防医学がもてはやされるのでしょうね。 



これからは自分が自分を守る時代ですから。 








人は、誰もが成長したいという想いを持って生まれてきています。 


そして、その想いに応じた資質を持ち、両親を選び、人生の青写真を持っているものです。 




それは、この世界に生まれ落ちて資質を育んでいくことで開いていくものです。 




わたしたちは、自分の資質を育むために、毎日、神様からヒントをいただいているものです。 




繋がっているのです。 


しかし、現代人は仕事に追われたり、感情に翻弄されたりして、サインを見逃してる方が多いように感じます。 




そこでわたしは、わたしの資質を生かして、そのお手伝いをさせていただきたいなあと考えています。 


自分ひとりひとりの特性と言えるべき資質を知り、資質を育むためにすべきことを知って、自分本来の成すべき道を歩んでみませんか? 























◎ままのまま


ブログに書いてあることでも本に書いてあることでも そこに書いてあることを生かすことが大切だなあ と感じます。


生かすって それを身近に感じて、より具体的に頭を使って自分自身で考えることだと思うのです。

すなわち、応用力です。

何を観ても何を聞いても 応用力のあることが幸せの近道ではないでしょうか?

わたしは なるべく具体的に書いているつもりですが、わかってもらえないことも多々あります。

それは やはり、頭の使い方なのではないでしょうか。

日々、何かしら頭を使って生活している人とそうじゃない人の違いは大きいと思うのです。

困ったことがあっても考えて克服する人と逃げ出す人とでは雲泥の差で違います。


幸せになるって 考える力の有無なのではないでしょうか?

誰かが幸せにしてくれるわけではない。


自分自身が幸せになりたい!という力で幸せになるのだと思います。


毎日のメールアドバイスを受けていらっしゃる方から こんなことを言われました。

「スピリチュアルなことは頭でわかっていても応用ができなかったけれど メールアドバイスを受けてから応用力が身に付いた」

うれしい言葉でした。

今までわたしはわかっていなかったのですが 応用力をつけてもらうためにメールアドバイスをしているんだなあ と解りました。


また 大学生の間、塾の講師をしていた娘がこんなことを言っていました。

「塾の講師は教えるんじゃないんだよ。いかに、家庭学習をさせるかなんだよ」と。


自分で考える力、家庭学習は大切ですね。



自分の不満をそのままにせずに 解決するように内観したり、行動に移すことで受容できるようになり 結果、相手も変わるということです。

しかし 、認める、自己受容のままだと
意識はあっても干渉しなくなるため
社会的立場云々にこだわることもなくなりますからいちいち、そこに目をつけなくなります。

それ自体は、なんら問題もないのですが
わたしたちは 社会の中で生きているため、各々が足並みを揃えて生きていくのが 本来の姿なのです。

この受容のプロセスを何回も何回も繰り返していくと 自分本来の姿に気づかされます。

それは 人を干渉しない という姿ではなくて 人を受け入れていくという姿なのです。

意識はしているけど干渉しない、見守る愛 というのは 聞こえは良いですが それは、ただ受け入れる度量がないだけなのでは?と思ってしまいます。

このように スピリチュアル業界では、見守る愛まがいのことを勧めているようにしかわたしには、思えません。

人を想い、人を愛することは もっと、深いものだと感じています。

確かに、信頼をしているから見守ることができるし 気づいていながらも干渉をしずにいられます。

待つという作業ですね。

いつまでも待つ、根気よく待つ。。。

この見守る愛は男性性特有の受容です。

しかし これでは、女性性と男性性の統合はできません。

女性性と男性性の統合は 待つという見守る愛よりもすべてを受け入れる、丸ごと包み込むという愛なのだと わたしは感じています。

丸飲みする愛です。

わたしは 女ですから、空ちゃんの見守る愛を 丸飲みしています。

愛すればこそ♪

こだわりがないということは、干渉しなくなるというチンケなものではなくて、
好きも嫌いもなく、良いも悪いもなく、出来る出来ないに関わらず
素直に、丸飲みすることだと思っています。

それが 女です。



自分の心の中のイライラやもやもやは、理由がわかると楽になります。


あっそうか!

そうだったのか!



わからない間は、もやもやイライラして人に八つ当たりをしてしまうこともあるかもしれませんが、どうしてそうなるのかを紐解いていくと、偶然というものはないのかもしれません。


すべてが必然だったなあ 〜 学ぶためだったんだなあ〜 と腑に落ちてきます。



わたしたちは 誰もがチャレンジャーですね。



最終目的に行き着くためにすべきこと、最強のアイテムを身に付けるために 生きている と思えるのです。




わたしは その人の決めてきた未来がわかるのですが そこに行き着くまでの過程というのは、みなさん壮大なシナリオを書いて生まれてきているのです。




すべての方に 愛と光を届けていきたいと思っています。


わたしは常々、身に付けること、癖にすることを口酸っぱくなるほど書いてますが、実践しない人がほとんどで呆れてしまいます。 


身に付けると、それが日常になるのです。 


日常だから つい、口から溢れます。 


◎◎◎していて調子がいいよ♪ とか こんなこと実践しています、とか。。。 

また 日常になっていたら、周りの人も始めると思うのです。 



それが実践している、ということなのです。 


勧めなくても、周りの人が実践するものなのです。 



結局、周りが実践しなかったり、勧めれないことは、自分は実践していないということなのです。 

それか、自分だけのものにしたいという根性悪なのか。。。 



勧めて相手が実践しないのは自由。 


押し付ける権利はない。 


だけど、実践していたら 自ら勧めてしまうものだと思います〜 


結局、人に勧めれないのは、疑ってる証拠です。 

だったら、やらなきゃいい。



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