この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 実践編

自分の心の中のイライラやもやもやは、理由がわかると楽になります。


あっそうか!

そうだったのか!



わからない間は、もやもやイライラして人に八つ当たりをしてしまうこともあるかもしれませんが、どうしてそうなるのかを紐解いていくと、偶然というものはないのかもしれません。


すべてが必然だったなあ 〜 学ぶためだったんだなあ〜 と腑に落ちてきます。



わたしたちは 誰もがチャレンジャーですね。



最終目的に行き着くためにすべきこと、最強のアイテムを身に付けるために 生きている と思えるのです。




わたしは その人の決めてきた未来がわかるのですが そこに行き着くまでの過程というのは、みなさん壮大なシナリオを書いて生まれてきているのです。




すべての方に 愛と光を届けていきたいと思っています。

お金の観念を外す呼吸法をお教えしたいと思います。 

その名を、出したら入ってくる、与えたら入ってくる、呼吸法です。


まず 背筋を伸ばし足を肩幅ぐらいに広げて立ちます。 


次に、両手を上に上げて手を組んで背伸びをします。


背伸びをしたら、そのまま両手を下ろし、後ろで組みます。 


組んでから、手を離します。


そうすると 胸が開いている状態になります。 


それが呼吸法の基本姿勢となります。 


後ろで組んだ両手を離し、お腹に手を添えます。 
そこで、『出したら入ってくる。与えたら入ってくる。』と、唱えてください。


その状態で、口から10秒間 息を吐きます。 


息を吐いている時に、お腹を引っ込めてください。 (手を添えているとやりやすいのです) 


そして、2秒間 息を止めます。 


そのあと 鼻から息を10秒間吸ってください。 吸っているときは、お腹を膨らまします。


そして、2秒間、息を止めてから、また息を吐きます。



『出したら入ってくる。与えたら入ってくる。』と、唱えながら 続けてください。 



毎日、朝晩 20分ぐらい行ってくださいね。 



お金の観念が外れていき、出すこと=与えることの恐怖心がなくなっていきます。 



お金の観念が外れると、自分磨きすることに罪悪感を持たなくなりますし、与えること=人のためにすることが惜しいと思わなくなりますよ。




ぜひ、お試しください。 


また、ままのままの瞑想と合わせてされると効果的です。 




自分が自分を愛するための『鏡のワーク』というものがあります。 


よろしければお試しください。 



1。まず、鏡を用意します。 


2。鏡に左目を映して、目の玉をじっと見て、「わたしはあなたを愛しています」と10回、言います。 


3。次に、右目も同様に行います。 


4。続いて、両方の目の玉を鏡に映して、同じように、「わたしはあなたを愛しています」と10回言ってください。 



最初は、恥ずかしいけど頑張って唱えてくださいね。 


朝と寝る前、に必ずするように癖つけするのがオススメです。 






わたしは常々、身に付けること、癖にすることを口酸っぱくなるほど書いてますが、実践しない人がほとんどで呆れてしまいます。 


身に付けると、それが日常になるのです。 


日常だから つい、口から溢れます。 


◎◎◎していて調子がいいよ♪ とか こんなこと実践しています、とか。。。 

また 日常になっていたら、周りの人も始めると思うのです。 



それが実践している、ということなのです。 


勧めなくても、周りの人が実践するものなのです。 



結局、周りが実践しなかったり、勧めれないことは、自分は実践していないということなのです。 

それか、自分だけのものにしたいという根性悪なのか。。。 



勧めて相手が実践しないのは自由。 


押し付ける権利はない。 


だけど、実践していたら 自ら勧めてしまうものだと思います〜 


結局、人に勧めれないのは、疑ってる証拠です。 

だったら、やらなきゃいい。



心配性。 


わたしも以前は、そうだったように思う。 


よく 人をあれこれ心配して手を出していたものだ。 

周りにも心配性の人がいて、あれこれ手を出して感謝されてることもある。 

わたしにも手を出してくるため 今のわたしはそういうのはウザく感じるのでハッキリ断る。 


わたしの領域に侵入しないで!って。 



要は、心配性の人は 人との境がなくて 他人の領域までズタズタ入ってくるのです。 


だから、依存傾向のある方からは感謝されるけど  そうでない人からはピシャッとやられるのです。 



この心配性の直し方ですが ハッキリ拒否られても 他に依存傾向のある人がいたら直らないです。 


直していくためには、 
心配性なんだから、おもいっきり心配性をふりまけばいいのです。 


心配だもん!心配だもん!と主張することなのです。 

人からは迷惑がられるかもしれません。 

でも 自分が心配性であることは悪いことではないのですから、堂々と心配をふりまけばいいのです。 

そうしていくうちに、なぜか知らないけれど 自分の内側が納得するのです。 

心配する想いを止めずにいたら、そのうち治まるものなのです。 


心配性はいけないことなんだと押さえ付けていたら、いつまでたってもくすぶり続けます。 


だから、心配性って自己表現の一種なのです。 


そのうち治まるものです。 



『心配するより信頼を』 
とも話しますが 


人を信頼できる人にはお勧めしますが、まだまだ信頼よりも心配が先に立ってしまう人には心配性をふりまくことをお勧めします。 


自分の気持ちに素直に行動することです。 


人には段階があります。 

いくら 心配より信頼をと言われても 精神がそこに到達していない人には難しいです。 


心の解放は、できることから始めていけばよいのです。 

人と比べることではありません。 




また わたしと比べて、できないと言われることがありますが当たり前です。 

わたしは修行を積んできているのです。 

積んできているの。 


威張って言ってるわけではないです。 


ただ、こういうことは継続あるのみ、なのです。 


日々の積み重ねで人はつくられていくものです。 



『なぜだかわからない自信過剰な自分』 


これは言い換えてみると『魂の尊厳』『気高さ』だとわたしは感じています。 


なぜなら わたしの尊厳を傷つけてくる相手には反射的に牙を剥いてしまうからです。 


これは反射的にです。 

止められないし止めようとも思わない。 




最近、家庭内で 
わたしが人を表現する言葉を、人はわたしが悪口を言ってると錯覚されることがあります。 

例えば、わたしがAさんのことを「Aさんは黒だね」と言ったとします。 
すると 人からわたしがAさんの悪口を言ったと言われるのです。 


わたしは黒も白も良いも悪いもないと思っていますが、人は黒は悪くて白は良いという観念を持っていたりします。 

そうすると、その人からするとわたしが悪口を言っていると捉えられてしまうのです。 


わかっているので外ではやりませんが 家庭内で言われます。 

家庭内だからめんどくさいと感じてしまいます。 

黒でも白でもバカでもアホでも良くも悪くもないのです。 

本質は認めているから。

側なんて何色でも構わないのです。 

洗えばきれいになるし不意につけられて自分が気づかない場合もあるし。 

本質さえ観えていたらそれでいいと思うのです。 

だけど わたしの本質を砕いてくるヤツは容赦ない。 


人には、本質がまったく見えない人と本質が見えるのにそれを無視して側しか見ない人がいます。 

本質が見えない人にはしないですが見えてるのに関わらず無視して側しか見ない人には、反射的に牙を剥いてしまいます。 

これは、『なぜだかわからない自信過剰な自分』という力の使い方を間違えてしまうことでもあるのです。 


元は、受け入れたり許す力があるため強いパワーがあるので、使い方を間違えると大惨事になってしまいます。。。 


原発と同じです。 


そうです、そうです。 

つい、先日 わたしは 反射的に牙を剥いてしまいました。。。 



これは、わたしの元に集まる人のテーマだと思います。 



『なぜだかわからない自信過剰な自分』 

というのは、人を裁きたがります。 

また 認められたい気持ちが強いです。 

だけど その術がわからなくて悶々とします。 


認められたくなくて隠れている人もいます。 




なぜだかわからないけど自分の底力を感覚でわかっているんです。 


だから 適当なの。 


でも その適当さが通用しない人や場所があるのです。 


そういう人にたいして、感覚だから ハッキリと物が言えないのです。 


だから 乱暴を働いたり暴言を吐くこともあります。 


想いが言葉に出来ないのです。 


だけど、『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから威張ったり図に乗るのです。 


謙虚さがないのです。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから、バカにされることを異常に嫌がりますし心が傷つきます。 


この辛さをわかってくれたり癒してくれる人を求めてさ迷います。 


癒してくれる人を見つけるやいなや依存します。


依存が得意です。 


でも、『なぜだかわからない自信過剰な自分』があるから 人を見限ることもします。 


質が悪いのです。 


だから 仲間はいらない。 
一匹狼でいることを望みます。 



そして、『なぜだかわからない自信過剰な自分』は、どんな仕事も納得できないしバカにしてしまい優劣をつけてしまいます。 


自分の力はこんなものじゃない!と思ってしまいます。 


でもね その力って実は、実際の仕事で発揮させるものではないのです。 


それは何かというと、その力は『受け入れる』という力だからです。 

パワーの使い方を間違えている人が多いです。 




『なぜだかわからない自信過剰な自分』のパワーは、『受け入れる』『許す』という力なのです。 


『受け入れる』『許す』というパワーがあるから、成し遂げることができるのです。 






異論を唱える人の中には 差別を受けた!と言われる方もいらっしゃいますが、そのような方は、差別を受けたわけではなく たぶん、話の流れを読めない人だと思います。 


そして、思い込みが激しくて、人の意見を聞けないのです。 


仕事をしてると なぜか知らないけれど、わたしの話の流れを読めなくて、話しの一部だけをとって話をされる人は少なくないです。 


そのため、自分の琴線に触れた箇所、一部だけをとって話をされます。


そのような方との話しは話が進まないです。 


だから、打ちきるか違う方と話をします。 

すると さも、自分が差別を受けたかのように言われます。 


困るのです。。。 


それは、仕事をされていない主婦の方に多いです。 


だから、奥さんすっ飛ばしてご主人と話すのです。 


こちらは、差別してるわけではなくて ただ、仕事をしているだけです。 


伝わらないと話しにならないから。 



伝わらない方っています。。。 




能力は高いのに認められないことあります。 


それは、自分を低く見積もっているから、かもしれません。 



わたしも能力は高いけど、隠れています。 

空ちゃんの後ろに隠れている隠れ妻です。 


わたしは、世間様に認められなくても空ちゃんただひとりに認められれば良いと思ってるの。 



わたしのように、認められたい、賞賛されたいという想いがあっても 実は、ただひとりの人にだけ賞賛されればいいと思っている人もいるかもしれないなあ〜と感じて書いてます。 



自分の気持ちは掘り下げていかないとわからないものです。 


自分自身の想いの本質を知ることが大切です。 



あっ でも、その想いが世間様に漏れてしまうのは仕方がないです^^ 



駄々もれ隠れ妻です〜


共感力と洞察力は違います。 


共感力は、人の意見や感情を全くその通りだと感じること。また,その気持ちであり、空気を読む力でもあります。 

感情エネルギーがわかる人も共感力が高いと思います。 


一方で 洞察力は 物事をよく観察して,その本質を見抜くこと。物事の奥底まで見通すこと。


です。 



本質を見極める力です。 

魂部分、本質部分がわかる力ですね。 



この洞察力を養うために、魂の繋がり深いツイン〜は出逢うのだと思います。 



共感力は感情エネルギーを読む力で、洞察力は魂エネルギーを読む力と言えますね。 


間違いやすいので、覚えておくと良いでしょう。 



自分のことはわからないのに人のことはわかるといったチャネラーさんやヒーラーさんは感情エネルギーを読んでいるのでしょう。 


これからは、本質を見極める力が必要となってきます。


感情とは、もうおさらばの時代に入ったのですから。 


洞察力を養いましょう〜




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