この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: その他読物

僕は地球

お父さんは太陽で お母さんは月

昔 昔 僕に似た星があったんだけど 核爆発で 砕けてしまったんだ

そのかけらを宇宙の人達が修復して 天に戻したのが お母さんである月なんだ

それで そんなお母さんを見初めてプロポーズしたのが お父さん

そして 生まれたのが 僕なんだ



実は、僕 困ってることあるんだ
僕の身体にはいっぱい 木が生えて皮膚である土を守っている
そして その木を守るために海があるんだ

でも 最近 木を切って燃やしたり 僕の身体に爆弾を落として 焦がしたりするんだ

やけどして とても痛いよ
海の水で冷やそうとしても 人間が流す水は 油が入っていたり 良くないものが入っているから 傷がとても滲みるし 直らない
お父さんに温めてもらいたいのに、人間が出す煙で、僕をおおっている膜をとかしているから、直に太陽の光りが当たるからよけいに痛いんだ

お母さんに直してもらうんだけど 夜になっているところだけ 直してもらっているから なかなか直らない(>_<)

お父さんは我慢しすぎた と言うけど 僕 人間が大好きだから 我慢するんだ
僕は人間のこと大好きだから 人間も僕のこと大好きなんだって信じてる…




でも 最近 もっともっと ショックなことが起こった

お母さんがいた星でも使っていた 核 を使った爆薬をつくっているんだ

それを 僕の身体で実験したり 実際に落としたりもした

それで 僕の大好きな日本人が何万人と亡くなった
それに…

それに…

原子力発電所を僕の身体の上にいっぱいいっぱい つくったんだ

そして 毎日 毎日 お母さんが泣くんだ

お母さんみたいになっちゃう…って

辛いよ 僕

辛いよ 僕

今まで 弱音を吐かなかった僕だけど 僕の心は砕けそうだよ

だから お父さんに相談したんだ

そしたら お父さんは天気を司る神様に言って 大雨を降らしたり カミナリを鳴らしたり日照りにして 人間に警告をした

でも やめてくれないんだ

「ボウヤが嫌だってはっきりと言いなさい!」

お母さんが言った

もう 僕が 僕の意思を表さなきゃいけないってこと?

「もう お母さんが祈ったり お父さんが警告しても無理なの あなたが 自分自身で行動してごらん
あなたならできるわ」

お母さんは続けた

「そうね… 日本人なら あなたの気持ち わかってくれるかもしれない」

「えっ日本人?」僕は聞いた

「そうよ 日本人は 私に住んでいる月人からDNAを採ってそっくりにつくっているから わかってくれるかも☆しれないわ
NASAが宇宙士を選ぶ時に 必ず 一人 日本人を選ぶのは 月人が驚かないようにするためなのよ ボウヤ」

「えっそうなの?」

「そうよ ボウヤ元気を出して!日本人なら きっと わかってくれて世界中の人間に伝えてくれるわよ!」

「うん 僕 『原発反対!』って 言ってみるよ」

やっと やる気になった地球のボウヤを 優しく見つめる お母さん 月とお父さん 太陽


勢いよく『原発 はんた〜い!』と 僕が叫んだ

そしたら 勢いよすぎて 海も 踊り出して 津波を引き落として 多くの人間が亡くなってしまった

「お父さ〜ん お母さ〜ん

「僕の上に住んでた人間が いっぱい いっぱい 亡くなったんだ やっぱり 僕 できない

「何を言ってるんだ 亡くなった人間達は ボウヤにしっかりと掴まっていないから振り落とされたんだ しっかりと根っこを張っていれば いいものを… だが かわいそうだから 火星と木星に言って 受け入れてもらおう だから 心配することないぞ!」」

「私は 人間達に あなたにしっかり根付くことができるように 愛のエネルギーを送るわ ねえ あなたも一緒に愛を送りましょう」とお母さんが言った
お父さんも 「そうだな 地上にしっかりと掴まっていられるように ワシもエネルギーを送るよ」

「お父さん お母さんありがとう」
僕 人間が原発をやめてくれるまで 頑張る!」

「そして 人間や動物 植物 僕の上に住んでいてくれる ありとあらゆる物達 と おだやかな日を過ごせるまで 僕は頑張るよ!」




ひょっとしたら 地球はこんなことを感じているんじゃないかなあ と思って 書いてみました


私は地球です

地球は私です

今まで 私も 辛いことがあっても 耐えてきました 口答えも 自分の意見も言ったことがありませんでした

しかし スピリチュアルを学び 自分の気持ちは自分自身が表さなきゃいけないことを知りました

まだ 最近のこと です

自分の言葉で伝える 態度で表現する

やっと 少しですが できるようになってきました


でも まだまだ これからです


地球も同じ気持ちかもしれません


自分が自分自身を愛するように

あなたも地球を愛してください
今までの過ちを許してください と謝ってください
そして いつも いつも そばに寄り添ってくれて ありがとうと感謝してください


天を仰ぐのではなく あなたの足元にいつも存在する地球に…





人はそれぞれ運命があって、その運命を生きるためには、使命というものがある。 


それは、みんな それぞれ違うもの。 



その使命に合わせて、わたしたちは姿形が決められている。 

そのため、親を選ぶことをしてる。 

DNAが必要だからだよ。 



姿形。 



そのためには、手足が短かったり長かったり少なかったり多かったりはあるものよ。 


それは、人生の途中でそうなることもある。




また 手足といっても現実的に目に見える手足、見えない手足があるものです。 



今のわたしは現実的に目に見える足は2本で見えない足は一本です(笑) 


そこもそれぞれ違うものよ。 


だけど 以前のわたしは見えない足がなかったから苦労したわ。 


でも 見えないから障がい者に見られなくて苦労したわ。 

今は生えてきたけれど^^ 



そんな理由で、
人はみ〜んな、造作が違うのよ。 



目に見えることだけで決めつけられないことがあるのです。



今の世の中では、一般的に目に見えるものを基準にしてるけど、そうでないことを知ってほしくて書いてます。 




実際に、目に見えてナイ場合、人から労られるけれど、見えないものがナくても気づいてもらえないから労られるどころかいじめられたして悔しい想いをするのよ。 



気づいてもらえないって辛いわ。 





だから、目に見えることだけで決めつけないでね。 

目に見えなくてもアルことを知って欲しい。


わたしがいつもブログで書いていることは家の中でも日常的に話しています。 


わたしは神様を身近に感じて生きていますがソレ同様に人との関係も近く垣根があるようでありません。 
昨日、書いた礼儀についても それは、親しき仲にも礼儀あり、の意味が大きく、親しい、が前提なのです。 

そうです。わたしは、親しくなったら垣根はなく、家族同様に接します。 

接しますというより接してしまいます、と言ったほうが良いかもしれません。 


それはわたしが日常的に神様事を話したり行ったりしているからかもしれません。 


制限されることに対して拒否反応を示してしまうので予め自分の正体を暴露しているのです。 



神様事のことでも原発のことでもタラタラと喋りだします。 


家の中だと、母親として過ごしていることが多いですが、何をしていても降りてきたらそのまま話すし、動き出します。 


自由です。 




人と交流を持つということは、ありのままを生きてるわたしにとって、ありのままを出せる場所を広げているだけで、もっともっと広げていきたいなあと思ってます。 

ブログを読んでいただくことで、わたしの日常を感じて欲しいです。






日本の中で広島と長崎に原爆を落とされ、被爆民となり、辛い体験を強いられてきた。 


そのため、その中で強い絆も生まれただろう。 

しかし 強い絆が他者への憎しみに変わることもあっただろう。 


そんな憎しみは簡単に癒されることはない。 


故郷を焼かれ、家族を失った痛みや苦しみは、当事者しかわからないもので、復興は果たして経済の発展は遂げたけれど、なかなか癒されるものではない。 



世界において日本という国は、自然を崇拝する国で、受け入れることを善としてきたけれど、被爆民となり、受け入れることを余儀なくされている昨今、苦しみを掘り返されている人も少なくないと思う。 



日本は被爆国ではあるけれど、被爆民は広島と長崎県民であるため、その中でも差別やいじめはあっただろう。 


戦争が終わって、早や75年が経とうとしていて、戦争の辛さが風化されてもいる中で まだまだ憎しみや痛みを持って苦しんでいる人もいるわけで、それを思ったら、簡単に 受け入れましょうとか許しましょうとは言えなくて、忘れないためには、祈り続けることしかできないものです。


祈り続けるとは、亡くなった方々に慰霊することだけではなくて、忘れずにいること。 


片時も忘れずに生活をすること。  


それが日本人としての供養ではないかなあとわたしは感じています。 




わたしは、日々の生活の中で、させていただいていることがありますが、それは哀悼の意味があることに気づきました。 


お弔いです。 



*********************************


憎しみ、争うという精神は、人を負かしたい気持ちで勝ちたい気持ちではないと、昨日読んだ本で知りました。 


そのため、どちらもが自滅するそうです。 


破壊です。 


自分が死んでも良いから相手を殺したいという気持ち。 


これが戦争に繋がります。 



最近のニュースを観ていると、特にそのような傾向が強いと感じます。 




また、世間を観ていると、共有するという精神がないように感じます。 


だから 自分本意で、公共施設が使えないのだなあとも感じます。 



日本人は、元は 自然を崇拝する民族ですが、日本人の中で力を合わせることよりも争うことが多すぎて、個人主義になり、共有という精神をなくしました。 


それが 自然の恵みの有り難さがわからないことに繋がることだと感じます。





苦しみから逃れられないから、他者を巻き込んで一緒に破滅していく。


自分だけでも助かりたいという気持ちすらなく他者を巻き込んで一緒に破滅する。 


そう望んでいる人が増えてるように感じます。 


だから、共有するという気持ちはサラサラ持ち得ないのです。 


物騒な世の中になりました。 



と、それは 地球の底辺の次元ですので、そこに意識は向けない生活を心掛けてください。


そういう世界が、あるんだなあ〜とだけ思っていれば良くて関わらないことです。 


色々なお試しがあるものです。 



注意して過ごしましょう。 





 自分と価値観の違う人を 『残念な人』と表す方がいらっしゃいます。 


『残念』とは どんな時に使うかわかっていて 『残念な人』と言っているのでしょうか。 


『残念』とは 期待していたのに、 期待通りでない時に使う言葉です。 

だから 人に使うということは 

自分が〇〇〇な人だと思っていたのに×××な人 
という風に使うと思われます。 


しかし、期待とはほど遠い、自分勝手な思い込みで
『残念な人』と表す方がいらっしゃいます。 



その人からしたらいい迷惑ですわねぇ〜

『〇〇〇な人』と思い込まれていたんです。

勝手に 『自分の価値観と同じ人』 
だと 思われていて 
けっきょく 
『自分の価値観と違う人』だから

と言って 

がっかりされてしまうのですから。。。



それって 相手を尊重する言葉ではないのです。 


『〇〇〇な人だと思っていた』
ことは 勝手な思い込みであり  相手を尊重する言葉ではないということです。 



『残念な人』という言葉を使っている方は 自分が正しいという前提で、使われていて、相手を敬うことや尊重するということを知らない人なんだな と思います。 


わたしは  社会的に立場のある方が、
この『残念な人』という言葉を使っていることが多いと感じます。



人に伝える役目を持っている方は 言葉に気をつけていただきたいと思います。 


それをいいことのように広める人がいます。 


それが世間というものです。 



言葉は正しく、美しく 使いたいものです。 





わたしはスピリチュアル的に導かれる前までは、自己否定が強く、それを克服して今の自分があると思っていて、また 人に認められたい気持ちはなく、自分が自分のやりたいことをやっていくことが世のため人のためになるのだと感じて生きています。 

しかし ここ最近、何か知らないけれどサインが降りてきています。 


そして、それに影響されて違うエネルギーも降りてきていました。 



この世界は2元性の世界であって ひとつあるともうひとつあるという表裏一体の世界です。 


そうです。表裏一体のサインが降りてきていたのです。 


そういうときは決まって強いエネルギーに引っ張られるものです。 


そのため 昨日の朝まではモンモンとしていました。 


ある場所に行かなくては、とも感じていたのです。 


しかし 遠方であるため迷って結局はやめたのは正解でした。 




わかったことは、サインというのはわかりやすく降りてくるということです。 


目に見える形で、わかりやすくです。 




そうです。 
わかりやすく、わたしの盲点を教えていただけたのでした。 



わたしは認められるべきことを当たり前にしているため気づかないことがあるのだなあと感じました。 


人に関わると、自分でも気付かなかった自分に気づかされますね。 



わたしと同じようなことが起きてる方もいらっしゃいますよ〜 


参考になさってくださいね〜


人からギャフン!とやられたことを反省せずに、親しい友達や家に帰って当たり散らしたことはありませんか? 

目の前に起こることを学びだと思わずに、逆に人に当たり散らすのです。 


友達や家族はいい迷惑です。 


また、それをいさめることなく同じように悪口を言い合ってストレスを発散する。 




うちではそのようなことはなく、何かあったら わたしが聞き役になり、時には諌め、時には慰めますが 目の前に起きることは『学び』なのですよね〜 



そんな話を見聞きすると、逆に自分の身が引き締まります。 


自分はどうだろうか?と。 



でも この世の中には、当たり散らせる家族や友達がそばにいてくれる人がいるとは限りません。 


寂しい、と感じます。 


そして そんな方々ほど 目の前のことを真摯に取り組もうとされていて、友達や家族がそばにいる人ほど気づかないのです。 



結局、人は淋しさに身を置くことで成長ができるものかもしれません。 




だけど 家族がそばにいてくれる人こそ 目の前に起こる出来事を真摯に見つめていただきたいと願っています。 


離されてからでは辛いから。 


温もりのないのは辛いから。 



いくら 自分自身に繋がったとしても 人の温もりには勝てないものです。 



それがわかるから、わたしは進んで聞くのかもしれません。 


そばにいても温もりのない関係もあります。 



結局、人は成長よりも温もりを求めるものかもしれませんね。



わたしは自分の記憶こそがすべてだという意識で生きています。(宇宙の記憶があります) 


そのため 人の話や書籍に書いてあることを鵜呑みにしません。 


この地球の成り立ちや宇宙の成り立ちについても自分の記憶を辿りながら検証を進めています。


今まで学校で習ってきたことや歴史書など、わたしの記憶とは違うことが書かれています。 


古事記、日本書紀なども。。。 


唯一、わたしの記憶と同じものがあります、それが日月神事です。 


日月神事では宇宙の成り立ちから書かれていて、読んでいて、そうそう♪と頷けることがほとんどすべてで、とても楽しい。 

原子だった頃のわたしやわたしという意識ができた時の頃のわたしが書かれています。 


地球が出来た時のことも書かれています。



自分の記憶こそが唯一です。 


だから 惑わされないし嘘がわかります。 


唯一のわたしでいるからわかるのです。


わたしは自分は何者なのかを探究してきました。 

自分が知りたかった、ただそれだけです。 


自分以外のものには関心はわかない。


だから 自分以外の話をされても頭に入らない。 


だけど 外に出ると、自分以外のものや存在を感じます。 
人の言葉などで一斉にシャワーのように浴びることもあるわけです。 


身体中に自分じゃないものが付着すると、息が出来なくなります。 


そのため、外出はあまりしないのです。 


疲れてしまうのです。。。 


ウルトラマンの滞在時間が3分なのがつくづくわかる今日この頃です。 


一日お出掛けしたら、4、5日はメンテナンスにかけます。 


箱入りなわたしです。 








日本では四季がありますね。
四季を感じたり、自然とふれ合うことで次第にこだわりがなくなったり人を許せるようになるようです。 

そのため 俳句に関心を寄せる方が増えています。 


昔からされている方はそうでもないですが、最近始められた方の中にはファッションのように感じている方も多く、大人のたしなみと認識されている方もいらっしゃいます。 


そのため、俳句に関心ない人を教養がないとジャッジされる方もいらして、せっかく俳句に導かれてもこだわりが捨てきれないのか〜と感じることもあります。 



人はそれぞれ自分の波動領域の中に居場所を見つけて生きているもので、居場所以外の場所でのことをあれこれ言ったとしてもそれはそれですね。 


自分の居場所にしっかり根付いていないと、自分の居場所以外の場所が気になってしまうのです。 


四季の感じ方も人それぞれ。


誰をも尊重して生きていきたいものです。 



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