この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 子供について


この地球に住む人間としてまた この社会で生活する人間として必要なことを学ぶことが現代に生きる人々にとって必要だとわたしは考えます。 



だから まず、親が家族という小さな社会の中での生活の仕方を教えます。 

家族という単位での役割分担をして、立場の上の者を敬い下の者を慈しむことを元に日常生活の送り方、食事の仕方など 上の者が模範となって教えます。 

 

家族という小さな社会で社会の仕組みを学んだら外の社会に出るのです。 





最近では、学校に行きたくない、行かせないことを見聞きしますが、学校は躾の場ではなく教育の場です。 


昔から読み書きソロバンは必須であったはずです。 


小中高と順に進んで、最終的には社会に出ていくのですが、社会に出た時に人様の迷惑をかけない程度の生活ルールや知識、また労働方法、お金の使い方を学ぶことは必要だとわたしは考えます。 



そのため、学校教育が必要だと感じるなら通わせる選択をすべきでしょう。



しかし 保護者がそう思わないなら、やめればいい。 





学校に行かせる行かせないという選択を迷われてる保護者が多いと思いますが、上に書いたような社会人として育てるためにはまずは、今、何を選択するべきかを考えれば良いと思います。 



そして、子供は親の所有物ではなくて社会からの預かりものだという意識は必要だと思います。 






その意識がないから、子育てに迷うのではないでしょうか? 




保護者の描いた子供の未来に子供を当てはめることもなくなるように感じます。 




娘はわたしの作品として社会に出しています。


そして 彼女の生きたいように生きることができるため わたしは手助けをしたり助言はしています。 





自分がいなかったら生きていけないようにしてしまうことは、避けるべきなのです。 







わたしが学校教育について意見を言わないのは、子供を所有物として見ている保護者や指導者が多くて何を言ってるか意味がわからなかったのですが、最近になって理解できたので書いてます。 





親が自分探ししながらフワフワして子育てしてると子供もそれに右習えする。 


小さいうちはそれでも良いかもしれないが、物心ついて、外の世界を見るようになると、親に違和感を持つようになります。 


親が何かを受け入れていなくても子育てには関係ないことで、親が受け入れられないことを子供にも強要することではないのです。 


子供は違和感を持ってもそんな親を受け入れようとするものです。


純粋な想いで受け入れようとするものです。 





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わたしが自分探し真っ最中の時期、娘の受験期でした。 

親としての選択を間違える寸でで姉に助けられました。 


いろいろありますが、感謝しかないです。 





新学期に学校に行きたくないって家の中が快適だからじゃないか? 


家と学校を比べるからでしょ 


学びと遊びを比べるからでしょ 






比べる必要ないものを比べることって意味あるのか? 



比べる必要ないものを比べる選択を許してるっておかしくないか? 



家で学校以上に学ぶことができると確信できるなら行かない選択もあってもいい。 




学校は学ぶ場所だ。 

娯楽場所じゃない。 




学ぼうとする強い意思があればどこだって学べる。 

強い意思を持っていれば、どんな人生も生きていける。 




胎内記憶のある子供が産まれてきている昨今ですが、胎内記憶よりも優るものがあります。


それは、母親が子供をお腹に授かっている時の体感です。



子供がどれだけ胎内記憶があるのか知りませんが、母親は子供が形を成さない頃には、つわりがあります。


それって 子供がまだ、自分という意識がない時です。


母親はその頃から、お腹の子供を意識して生きているのです。


身ふたつの意識です。



いくら子供が胎内記憶があったとしても親の記憶に優るものはないと思います。



お腹に宿した瞬間、つまり授精した瞬間の記憶がわたしにはあります。


その瞬間から、出産するまでわたしは母親意識が生まれ、ふたつの意識で生きているのです。


母親って授かった瞬間から母親だよ。



身ふたつになってから、反抗期でババアと言われても、その子の意識のない時には、その子を意識して生きていたんだと言い返してください。


自信を持ってください。

母親はいつまでも母親です。


自分の母親でも同じことです。


あなたの知らない記憶があるのは生んでくれた母親です。



唯一、あなたがこの世に生を受けた時の記憶を持つのは、あなたの母親なのです。

アマゾンでレビューを書かせていただいたことがあります。


必要な方に届きますように。


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いのちのやくそくを読んで

自分のたましいに興味を持つこと

って大切だなあ と感じました。

自分は何故、生まれてきたんだろう

自分の子供は 何故、自分の元に生まれてきたんだろう

そう考えてみることで、
今までとは 違った視点で人生を歩むことができます。

わたしがそうでした。

また、わたしは 人生を歩む中で いつも根底にそれがありました。

それがわからなくて苦しみました。

自分の生まれてきた意味は人から知らされても実感できないものです。

だからこそ、実感していただきたいなあ と思います。

瞑想をして、自分の静けさの中に身を鎮めると
たましいと会話をすることができるようになります。

それは、もうひとりのわたしです。

インナーチャイルドとも違います。

自分のたましいの想いを知ると、生まれてきた意味を知り
今、やらなければいけないことがわかりますし
やってはいけないこともわかるようになります。

すると うまく人生を歩むことができるようになります。

わたしたちは 今、ここで生きています。

人生を歩むためには指針があるとよいのです。IMG_3689


それが たましいの声だと感じて生きています。

この本は 人生を歩むための指針を知るために必要だと感じました。

ぜひ、お手に取って読んでみてください。

そして 直接、池川先生のお心にふれ、上田先生の微細な波動を感じてみてください。

感じることで 自分を知る旅へといざなってくれるでしょう。。。


自分を軽んじていると人からも軽く見られます。 

他人や身内から、自分の子供からもです。 



そうされたいなら、別ですが。 


嫌ならやめることです。 


そして 自分を見限らないこと。 


どうせ、自分にはできない とか ダメだ とか 自分はバカだ と言わないこと。 



悲しみますよ。 


自分自身が悲しみます。 




子育てをするときには、そう教えて育ててください。 



子供は親の背中を見て育つものです。 





いろいろと人に関わらせていただいていて思うのですが、親との関係が良好であるかないかよりもしつけが厳しかった人の方が成長は早いと感じます。 


三つ子の魂百まで と言うのはわかります。 


親のしつけが厳しかろうがゆるかろうが きちんとしつけされた人の方が世間的な常識を身体でわかっているため進みが早いです。 



例えば、『人に迷惑をかけてはいけません』としつけられた人は、それを身体でわかっているため 忘れていたとしても思い出すのです。 


しかし 何も言われなく育てられた人は、思い出すものがなく 何故、人に迷惑をかけてはいけないのかがわからないものです。 


わからない人には、教えなければいけません。 


地球に住むには、人間としてのルールは必要なのです。 




親が、そのまた親からしつけられたことを子供に教えていかないと、何も知らない子供が出来上がります。 


何故教えないかといったら、厳しかったから だと思います。 

自分がされて嫌だったことは子供にはしないように育てたためですね。 


このように、人として生きていくためのルールの連鎖が断ち切られているのが現代なのかと思います。 





わからない人には教えられない。 

頭が固くなってからは教えられない。 

間違ったことを教えられている場合には いったんそれを抜いて、新たに正しい考えを入れていかなきゃいけないので 非常に骨が折れます。 



しつけって大切です。 





今の中年の方々を見ていると、マナーの悪い方が目立ちます。 


だから、子供も同じですね。 




人間関係がうまく築けない人は、どこのセミナーに通っても 根本的なしつけがされていないから、うまく立て直しができないものです。 



自分にそのような傾向がある方は、親のしつけを考えてみてください。 




心から詫びるためには、まずは 自分の過ちを認めることから始まります。

自分の過ちを認めない限り 人は謝る気持ちにならないからです。


「過ち」

間違いとも言います。


これは 人それぞれ認識の違いがあります。

育った環境もあります。

自分の認識では間違いはないのだけど、自分の言動で人を不愉快にさせてしまう場合もあります。

その時には、「あなたの言動で不愉快になることがあるんだよ」と事実を教えるのです。


そうすると

自分は間違いをおかしてしまったわけではないけれど、自分の言動の結果、人を不愉快にさせてしまったことは間違いない事実なんだな と認識します。


そう、事実を 素直に受け取ったら 「不愉快にさせてごめんなさい」と謝ることができるのです。


人は間違ったことをしていないのに、謝れないのです。


それは 人の尊厳に関わるからです。


不愉快にさせてしまったことに対して詫びるのです。


ただ、ごめんなさい ではなくて 何で謝るのかを自分にも相手にも認識させるのです。




また 実際に、間違った行為をしてしまった場合があります。

本人は認識していなくても間違いをおかすことはあります。


その場合にも、あなたの間違いは◯◯だよ、と教えます。


すると 娘は、顔を歪めて驚きます。


「知らなかった( ; ゜Д゜)」


穴があったら入りたい気分になるようです。


すぐ、謝りの電話なり手紙を書くように勧めます。

また 一度だけでなく 許していただけるまで、通わせます。


心からの謝罪は相手の心に響くのです。



わたしは、心からの謝罪はすぐに許します。早いです^^


だけど 人によっては、謝罪を受け取れないくらい心が傷ついている人もおられるのです。


それは、間違いの度合いにもよりますね。


その場合は、相手や自分の尊厳を保ちつつ低身低頭で接するのです。



言葉にするのは簡単ですが 手取り足取り教えます。


間違いをおかされた方の傷は計り知れないです。

傷が癒されるまでは、待つ心も必要ですね。


でも、謝り続ける心が大切で 謝り続ける心を肉体を使って表現することで相手は癒されていくのです。


どんなことでも 継続すること は大切なのですよ。


継続は力なり、です。

わたしは子供を持つ母親です。

だから、子育ての一貫で、人と付き合うときの想いの伝え方を教えています。


挨拶の仕方、謝り方、言葉使い、お辞儀の仕方、

直立不動で謝る人はいないです。


軽く、ごめんごめんはうちではないです。


謝罪というのは、心が伴ってこそです。


わたしは心がわかるので 本心からの謝罪でないとわかります。


だから、何回もできるまで謝らせます。


わたしのOKが出たら、そこで終了です。



わたしは、通り一辺のマナーではなくて 心(思いやり)の伝え方を教えているのです。


ありがとうという感謝の心、ごめんなさいという謝罪の心、心の開き方 など 想いの伝え方です。


想いがない人なんていない と思います。

ただ、表せないだけだと思うからです。

表せないなら、できる人が教えればよいだけです。


その場で徹底的に、その想いがわいて伝わるまで教えます。


わたしたちは、元は感謝のかたまりの存在です。

それを思い出させて、肉体を使って表現するだけなのです。


肉体がない時 わたしたちは、ダイレクトにコミニュケーションをとっていましたから、伝え方は特別には必要なかったけれど 今は肉体を持つ身なのです。


肉体を持っているからこそ、できることがあるのです。


肉体を持つ存在としてのコミニュケーションの取り方を教えています。


それは、娘だけでなく わたしを慕う人に対しても教えています。



このように、マナーというものは、軽んじることではないのです。


人付き合いの基本ですから。



人を軽んじることは自分自身を軽んじることです。


人から軽んじられることを自分に許してはならない。


それが人としての尊厳ですから。




わたしたちは、みんな同じ、尊厳ある存在なのです。

昨日、知人と話をしていて感じたのは

親子関係、子育てに関してですが

親が真剣に子育てをしていない家庭が多いんだなあ って思いました。

わたしの周りでは 比較的、子育てに関しては真剣に取り組んでいる人も多く 悩みながら子育てをしているのです。

しかし

親が自分のことしか関心がなく 子供に目を向けない人も多く存在するんだな ということ。

また はたから見ていると いかにも間違っているのに 自分の子育てに間違いはないと勘違いをしている親も多いんだな ということ。

そして 勘違い、無関心な親の元で育った子供が多いんだなあ ということです。

悩む人ならば、親は模索しながら考えますが 考えもしない、問題を問題ととらえないどうしようもない親が存在するんだ という事実を突き付けられました。

自分の親はこんな親なんだ

と、情けないと感じて親になった人が多いんだ ということ。

子供が子供を生んで どちらも成長することなく生きている

そんな親は決まって

『子供の個性を大切に』
と言われます。

個性を大切に育てているのではなくて
産みっぱなしなだけだと思います。

ペットの飼育が出来ない人間が子供を産む。

よく 聞かれるのが

自分が親にされて嫌だったことを子供にはしたくない

という言葉。

それって 子供を想っていない行動を押し付けられていたのだろうか?

しつけをしていく中で 戒め、諌めることも多々ありますが
その戒め、諌めを子供が嫌がり その子供が親になった時に、自分がされて嫌だったからと子供を戒めない、諌めない のではないのでしょうか?

娘がわたしによく言うのが

友達の子の親が叱らないことを お母さんはわたしによく叱る

そんなとき わたしはこう言います。

『友達のお母さんは
やって良いこと悪いことの区別がつかないから、子供を戒めることができないんだよ』

やって良いこと悪いことの区別がつかない大人が多すぎます。

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