この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 子育て


いろいろと人に関わらせていただいていて思うのですが、親との関係が良好であるかないかよりもしつけが厳しかった人の方が成長は早いと感じます。 


三つ子の魂百まで と言うのはわかります。 


親のしつけが厳しかろうがゆるかろうが きちんとしつけされた人の方が世間的な常識を身体でわかっているため進みが早いです。 



例えば、『人に迷惑をかけてはいけません』としつけられた人は、それを身体でわかっているため 忘れていたとしても思い出すのです。 


しかし 何も言われなく育てられた人は、思い出すものがなく 何故、人に迷惑をかけてはいけないのかがわからないものです。 


わからない人には、教えなければいけません。 


地球に住むには、人間としてのルールは必要なのです。 




親が、そのまた親からしつけられたことを子供に教えていかないと、何も知らない子供が出来上がります。 


何故教えないかといったら、厳しかったから だと思います。 

自分がされて嫌だったことは子供にはしないように育てたためですね。 


このように、人として生きていくためのルールの連鎖が断ち切られているのが現代なのかと思います。 





わからない人には教えられない。 

頭が固くなってからは教えられない。 

間違ったことを教えられている場合には いったんそれを抜いて、新たに正しい考えを入れていかなきゃいけないので 非常に骨が折れます。 



しつけって大切です。 





今の中年の方々を見ていると、マナーの悪い方が目立ちます。 


だから、子供も同じですね。 




人間関係がうまく築けない人は、どこのセミナーに通っても 根本的なしつけがされていないから、うまく立て直しができないものです。 



自分にそのような傾向がある方は、親のしつけを考えてみてください。 





確かに、子供を育てるためには 教えていくことは大切なのです。 


だけど その子供を育てる親は、教えられていない場合もあるのです。 



自分が教えられていないことを、教えていくことは難しいことです。 


子育ては、繋げていくことですから。 



だから、繋がりが切れた親子関係が多いのかもしれません。 


まだ、昭和の時代には厳しいながらも教えられていました。 


『教え』がありました。


しかし、その『教え』が子供に繋がらなくなったのです。 


それは、その『教え』の意味がわからなかったからかもしれません。 


厳しい親子関係で、意味がわからず植え付けられた。 


『教え』自体は、間違っていないのだけど その環境が悪かったのだと思います。 


だから、反抗した。 


少なくともわたしはそうでした。 


親が怖くて従うふりをしていました。 


でも、『教え』は間違っていなかったのです。 


なぜなら その『教え』は、のちに ままのままさん(わたしの内神様)から教えられたからです。




『教え』を繋げていくことが子育ての基本だと思います。 


だから、『教え』がないと迷うのです。 


そして、教えられていない子供が大人になったのが今の平成の時代なのです。


『教え』とは、その人の軸となるものです。


『教え』を知らない平成の人が『教え』を知る昭和の人を否定するのです。 


おかしな世の中です。



だから、一掃されて 『教え』だけが残るのです。 

『教え』は愛そのものですから。 




事実を教えるのと、事実を突き付けるのは違うと思います。


事実は事実でしかなくて そこに感情や想いは存在しないものです。


だけど 事実を突き付けるという手法は、裁く意味合いがあると思うのです。


どうだ!どうだ!と、勝ち誇ったように 事実を突き付け、謝罪を認めさせるのって違うと思うのです。


それは 人の尊厳を無視したやり方だと思うのです。


事実は、そっと教えるものだと思うのです。


公開処刑のように、事実を突き付けられている方を観ると、心が痛みます。




以前のわたしは そのような方を見ると、わざと 公開指摘しました。


そうすることで気付かせたいという上からの要請があったからです。


わたしは一度はやりますが、気づかない場合は 手を引きます。


わからない人はわからないでしょうね。。。



でも わたしは想いがあるのです。

離れてもわたしの想いは変わらない。

気付いていただいて、一緒に歩みたい という気持ちです。


わたしの想いが伝わらない方もおられます。

心から詫びるためには、まずは 自分の過ちを認めることから始まります。

自分の過ちを認めない限り 人は謝る気持ちにならないからです。


「過ち」

間違いとも言います。


これは 人それぞれ認識の違いがあります。

育った環境もあります。

自分の認識では間違いはないのだけど、自分の言動で人を不愉快にさせてしまう場合もあります。

その時には、「あなたの言動で不愉快になることがあるんだよ」と事実を教えるのです。


そうすると

自分は間違いをおかしてしまったわけではないけれど、自分の言動の結果、人を不愉快にさせてしまったことは間違いない事実なんだな と認識します。


そう、事実を 素直に受け取ったら 「不愉快にさせてごめんなさい」と謝ることができるのです。


人は間違ったことをしていないのに、謝れないのです。


それは 人の尊厳に関わるからです。


不愉快にさせてしまったことに対して詫びるのです。


ただ、ごめんなさい ではなくて 何で謝るのかを自分にも相手にも認識させるのです。




また 実際に、間違った行為をしてしまった場合があります。

本人は認識していなくても間違いをおかすことはあります。


その場合にも、あなたの間違いは◯◯だよ、と教えます。


すると 娘は、顔を歪めて驚きます。


「知らなかった( ; ゜Д゜)」


穴があったら入りたい気分になるようです。


すぐ、謝りの電話なり手紙を書くように勧めます。

また 一度だけでなく 許していただけるまで、通わせます。


心からの謝罪は相手の心に響くのです。



わたしは、心からの謝罪はすぐに許します。早いです^^


だけど 人によっては、謝罪を受け取れないくらい心が傷ついている人もおられるのです。


それは、間違いの度合いにもよりますね。


その場合は、相手や自分の尊厳を保ちつつ低身低頭で接するのです。



言葉にするのは簡単ですが 手取り足取り教えます。


間違いをおかされた方の傷は計り知れないです。

傷が癒されるまでは、待つ心も必要ですね。


でも、謝り続ける心が大切で 謝り続ける心を肉体を使って表現することで相手は癒されていくのです。


どんなことでも 継続すること は大切なのですよ。


継続は力なり、です。

わたしは子供を持つ母親です。

だから、子育ての一貫で、人と付き合うときの想いの伝え方を教えています。


挨拶の仕方、謝り方、言葉使い、お辞儀の仕方、

直立不動で謝る人はいないです。


軽く、ごめんごめんはうちではないです。


謝罪というのは、心が伴ってこそです。


わたしは心がわかるので 本心からの謝罪でないとわかります。


だから、何回もできるまで謝らせます。


わたしのOKが出たら、そこで終了です。



わたしは、通り一辺のマナーではなくて 心(思いやり)の伝え方を教えているのです。


ありがとうという感謝の心、ごめんなさいという謝罪の心、心の開き方 など 想いの伝え方です。


想いがない人なんていない と思います。

ただ、表せないだけだと思うからです。

表せないなら、できる人が教えればよいだけです。


その場で徹底的に、その想いがわいて伝わるまで教えます。


わたしたちは、元は感謝のかたまりの存在です。

それを思い出させて、肉体を使って表現するだけなのです。


肉体がない時 わたしたちは、ダイレクトにコミニュケーションをとっていましたから、伝え方は特別には必要なかったけれど 今は肉体を持つ身なのです。


肉体を持っているからこそ、できることがあるのです。


肉体を持つ存在としてのコミニュケーションの取り方を教えています。


それは、娘だけでなく わたしを慕う人に対しても教えています。



このように、マナーというものは、軽んじることではないのです。


人付き合いの基本ですから。



人を軽んじることは自分自身を軽んじることです。


人から軽んじられることを自分に許してはならない。


それが人としての尊厳ですから。




わたしたちは、みんな同じ、尊厳ある存在なのです。

小さな子供の頃はありのままの自分を見せていたはず。


いったい いつから見せなくなってしまったのだろう?



娘はわたしにいつまでも小さな頃の自分を見せてくれます。


その度に、気付かされます。


ありのままの自分を伝えることがコミニュケーションの秘訣だと感じます。



気取らず、わざと出来るふりをせずにいることが安心を引き寄せるのだと思います。



それは、自立してからでも変わりないです。


自立したからこそ、互いの連絡、報告は必要です。



それが相手を思いやる行動となります。


相手を心配だけさせておいてなしのつぶてというのは自立していない証拠です。


連絡、報告、相談がない人は思いやりがないと思われてしまいます。


自分としては、思いやりがないつもりはなくても 結果、思いやりがないと見なされてしまうのです。

それは、損だと思います。

だから、子育てのうちから きちんと教えていくべきことなのです。


親に対して、ホウレンソウが出来ない人は社会に出てもできないものです。


言葉遣いもそうですが、親はホウレンソウを教えていくことが良いでしょう。


そのためには、自分自身も家族に対してホウレンソウを心がけることですね。


子供は親の育てたようにしか育たないです。


心がけましょう。

カウンセリングとわたしのやってるメールアドバイスの違いはソコです。


カウンセリングは、わたしが導き出した答えを受け取り どう解釈していただいても やらなくても構わないです。
強制力はありません。


だけど メールアドバイスでは強制力があります。


メールアドバイスを受けている方々はわたしが導き出した答えに対して報告する義務があるのです。

だから、成長が早いのです。


その報告は、出来ない という報告でも良いのです。


出来なければ、わたしは違う手を考えます。


出来ない という報告がない場合は、わたしは報告があるまで待ちます。


待って、音沙汰がないと わたしから問いかけます。
その時に、出来ないと言われると なんのためのメールアドバイス?とわたしは思います。



出来ないことは出来ないと言えばいい。

恥ずかしいことでもないのです。


結局、成長が遅い人は 出来ないことを隠すのです。

出来た報告をしたいために隠すのです。



出来なくてもわたしは怒らないけど 報告しないことを叱ります。


言うだけ。
伝えるだけ。


それで良いのです。


そこには 出来ないからどうしよう。。。といった感情はいらないのです。

人からの評価を気にしないことなのです。



人とのコミニュケーションのポイントはソコです。


できないも〜ん
と言って話し合える相手がいるかどうかです。


言えたら、そこで親(上司)がなんとか考えてくれます。


そこで罵倒する親(上司)ややらなくてもいいよと甘えさせる親(上司)は論外です。



うちの娘は、出来ない報告と同時に相談をしてきます。
相談という名の押し付けでもあります。 ちゃっかりしてます^^



出来ました、と報告したい気持ちはわかりますが、それなら努力すべきです。
気持ちがあるなら努力する。
気持ちがないなら、出来ないことを報告しなくちゃです。



それがコミニュケーションを取る上での重要なポイントです。


そして、そこで出来ないことを怒るような上司には見切りをつけなきゃいけないです。


正直に伝えたにも関わらず、怒るのは 人間性を疑わなくてはいけません。

親ならば、出来ないことを叱るのではなくて 報告がないから叱るのだと思います。


子供からしたら、親に叱られるから と恐怖心を持つかもしれませんが 一度、叱られた内容を思い出してみてください。


よほどの親でない限り、報告がないことで叱ることがほとんどだと思います。


親は連絡、報告、相談がないから叱るのではないでしょうか?



親との関係を考えてみてくださいね。


ホウレンソウはコミニュケーションを取る上での基本です。

任せる、任せると言っておきながらも口を出す人は 相手が情報を開示しないから。


任せられたからといって、何の報告もしないから。


任せる人は、あなたに任せたのだから、逐一、報告はしてください と暗に言っているのです。


信頼された、任せられた人は 報告が必須なのです。


信頼される条件というのは 簡単なことで 報告、連絡、相談 ができることなのです。



ビジネスの世界では当たり前と言われている『ホウレンソウ』です。



結局、信頼されるされないということは ホウレンソウができるかできないかだけなのです。



どんな場面でもホウレンソウは必要です。


報告をし合うこと。 連絡をし合うこと。相談し合うこと。


これがコミニュケーションです。


何かをしたら、必ず 連絡や報告をします。

すると、相手が納得します。



ブログを書くという行為はやりっぱなしの世界です。

発信のみですから。

発信したことをどう繋げたかの報告を求められないから気楽ですね。


不特定多数に向けて発信することは得意だけど 一対一でのやり取りが苦手な方は、ホウレンソウができていないからです。

ただ ブログを書いてる人を信頼するのは危険ですね。


人を信頼するためには、その人が一対一で どのように人と接しているのかを見ることです。


そこを隠していたり、プライベートを一切、出さない人は要注意だとわたしは思います。


良いことばかり書いてる人は信頼できないです。
また 包み隠さず書いていても家族間が不仲なのはNGです。



結局は、家族間でのホウレンソウがきちんと出来ているかを見ると、人となりがわかりますね。


参考になさってくださいね。

先記事で 親が子供に対して制限することを書きましたが、これは必ずしも悪いことではありません。


なぜなら、人によっては自制心のない方がいるからです。


親に育ててもらっているうちは、真面目なのに 家を出たら不真面目になった。。。


それを 子供はしつけが厳しかったからとか親から虐待を受けたという風に思い込んでいる人がいます。

被害妄想です。


自制心のない人は一定の縛りをつけないと ふらふらちょうちんになります。

自分で決めるとか自分に約束したことを守ることができないのです。




朝、太陽が登り夕方に沈む。

天は規則正しく進んでいます。

身体のリズムもそのようにできています。

それを 夜遅くまで起きていて朝方眠るとか、していると食事のリズムが崩れます。
すると 身体が受け付けないかどか食いをしたりします。

甘いものがやめられない、タバコやアルコールの飲み過ぎます。


自制心がないのです。


誰かに管理してもらえないと不必要に摂取してしまう。。。


それは、幼少期からのしつけが問題です。


いつまでたってもしつけが必要な人はいるのです。

自立できていないのです。



わたしの知り合いで、以前は厳しい方にお世話になっていた方がいました。

その頃はアイロンをピシッとかけたシャツをかけて 背筋も伸びて 素敵な感じでしたが 窮屈だからとそこを飛び出して 今は結婚されて事業を興されていますが まあ、驚くほど変わってしまいました。

服装はよれよれのTシャツでブクブクに太りしまりがありません。。。


厳しい方から離れた時は、その方の悪口三昧でしたが その理由がわかりました。

結局は厳しく管理されないと、自分を節制できないのです。

奥さんもお手上げだと思います。

それか、奥さんも緩いのでしょう。。。


その生活がしたかったから飛び出したのかもしれませんが いかにもひどいなあ と思います。


幸せに暮らしているようですが、わたしとしてはお付き合いできません。



なんていうのかな

そこまで自制心がないのは、信用できないのです。


自分との約束ができないのに他者との約束が守れるわけないからです。


自己管理ですね。



だから、結局は、自己管理できない人が集まっている仲間でつるんでいます。


人との約束も緩いです。
仕事は遅れても当たり前。

の世界で生きています。

好きなことをしているからいいじゃないか と思われるかもしれません。



だけどね、わたしは魂の想いがわかります。


嘆いています。。。


それでも 魂は、寄り添い続けています。



彼は今の生活こそが魂の進みたい道だ!と勘違いしているのでしょう。

しかし本当は、魂は嘆いています。


だから、よく怪我をするし 病気にもなりますね。
サインは出ています。

気づかないのです。


というよりも、病気しても当たり前 怪我して当たり前と思っているのでしょうね。



魂の想いにまっすぐ進んでいたら病気や怪我は一切ありません。


それを知らないのです。

意識というものは不思議なもので、子供をお腹に宿した時点で、女は母親に変わります。


母親として自分が産み出した魂の責任が生まれるのです。



今は、子供を生まない選択をして生きておられる方も多いです。


それは 母親としての責任を卒業された方もいらっしゃいますが 母親になる責任を負うのが怖いと感じる魂もいらっしゃいます。

それは、まだ 魂が子供のままで母親を探している状態だからです。



安心という母親を探すために生まれてきています。
そのため、子供関係の仕事についている方や関心の高い方も多いのです。



わたしにもまだ、出逢っていないですが 自分の子供の魂が多くいます。



わたしは母親ですから、わたしを求めてきてくれるのは勿論、魂エネルギーが同じである空ちゃんを慕ってくる魂もいるのです。


みんなみんな、わたしの子供です。


空ちゃんを慕ってもその奥にいるわたしを求めているのですが たどり着けないのでもどかしい気持ちになります。



直接、わたしが接触できるのは我が子含めて数人です。



わたしとしては空ちゃんにくっついている魂も向かい入れたいのですが、空ちゃんがストップしています。


空ちゃんは、自分が頼られたい、守りたい人だからです。


守らなければいけないのは魂の尊厳であり個人ではないのですが そこを空ちゃんはわからないでいます。


わたしは空ちゃんの前だけ女になります。


だけど 空ちゃんはわたしに女と母親両方求めます。


空ちゃんがわたしに母親役を求めなくなってほしいです。

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